散文的で抒情的な、わたくしの意見

大河ドラマ、歴史小説、戦国時代のお話が中心です。

山岡荘八原作・大河「徳川家康」は嘘ばっかりで面白い。「真田丸」と比較してみる。

2019年03月16日 | 徳川家康
PCに向かいながら、BGMとして大河「徳川家康」を聴いていました。画面はあまり見てません。もう数回見た作品ですし。

「とことん徳川家康を聖人君子として描く」作品です。山岡荘八原作だからそうなるわけです。

嘘ばっかりですが、そこが結構面白いのです。ウソもここまで一貫すればたいしたもんだ、というところです。脚本の小山内美江子さんの「才能」も感じました。

1、嫡男・松平信康の切腹・ちなみに、今の学説では「家康と信康の対立」が原因とされることが多い事件です。

これは「真田丸」にはありません。
とにかく正妻の築山殿が「浮気はするわ、武田とは通じるわ」という悪女です。その築山殿に連座して、切腹させたとなっています。
きっかけは徳川の強大化を恐れる信長が、築山殿や信康の「ご乱行」をつかんだこととされています。信長は信康の妻(徳姫)が「昔つい書いてしまった」、信康乱行への文句の手紙を「利用する」という設定です。徳姫は実は信康を深く愛していたとされています。

けれど「信長に命令されたから殺す」とはなっていません。家康は「あくまで自分が調べ、自分の判断で処罰するのだ」と言います。つまり「あの徳川家康が信長に命令されて嫡男を殺すなんて不甲斐ないことはしない」という設定です。

で、築山殿の武田内通を信康も「なんとなく知っていた」という感じにして切腹を命じます。しかしそれでは「家康は冷酷だ」となるといけないと考えたのか、「なんとか逃がそう」とするのです。しかし信康は逃げません。家康の長男だから「立派な人」なわけです。「逃げれば自分の罪を認めることになる。だったら死ぬ。」と言って切腹します。家康は「なぜ逃げないのだ」と悲しみつつも、やはり立派な男であったと考えます。

ちなみにこの事件、司馬さんは「徳川家康は冷酷な人間だから長男や妻を殺してもさして気にもしなかった」と書いています。山岡さんの家康によほど違和感を感じていたのでしょう。「おんな城主直虎」だと「まさに魔王のような海老蔵の信長」から「じゃあ、三河殿の好きになされよ。その代わり、このわしも好きにするがな。」と脅され、阿部サダヲ演じる家康は震えあがります。

2、石川数正の豊臣への出奔

なんだか理屈が通らないのですが「徳川家の団結のために出奔した」となっています。
「豊臣と和を結ぶためには誰かがその仕事をしないといけない。しかしそれをすれば徳川家内で恨まれる。しかし恨まれても、徳川家康への忠義のため、石川数正はそれをやりとげた。彼こそ真の忠臣である」となっています。出奔すれば軍事機密がばれ、徳川家内が緊張する、引き締まる。家内の秩序の「見直し」もできる。そこまで「読んで」、家康の暗黙の了解のもと、石川数正は豊臣へ出奔したとされます。ちょっとわけがわかりません。

「真田丸」だと真田家に騙されて「魔が差してつい出奔した」とされ、石川数正は、大坂城で真田信繁に「ぐちぐち」と文句を言います。そして「最後に決断したのは自分じゃないですか。ぐち言ってないで前を向きましょう」と信繁に慰められます。

3、神君伊賀越え

何度も危機に陥りますが、落人狩りの農民も「最後はあまりに大きな家康の人徳に感化され」、ついには協力者となって家康を逃すとされています。
そこに何故か師である太原雪斎の「幻」が現れ、「お前はまだまだ民の心を知らない」とか説教します。きわめて道徳的な流れです。

「真田丸」だと、ほぼコントです。顔に泥を塗りながら、ワーワー言って「押しとおる」というお笑いシーンになっています。

4、豊臣秀頼を殺す

「真田丸」では「ちょっとあいまい」です。どうやら生かすつもりはないらしいのですが、「生かしてもいいかな」とか考えています。そこに秀忠が出てきて「生かすなんてありえない」と言います。家康は「おっそろしい息子だなー」と驚きます。

大河「徳川家康」では「絶対に生かす」です。「秀頼も淀殿も絶対生かす」が方針です。でも「秀忠が親に逆らって勝手に殺した」とされ、家康は「激怒」します。

なお、これは「成り立たない」のです。何故なら戦後、徳川家は秀頼の息子である「国松」を斬首しているからです。国松の斬首まで「秀忠が勝手にやった」は成り立ちません。秀頼を殺して家康に激怒された、けど秀頼の子供まで探しだして8歳の子の首を斬った、なんてありえない話です。

同じ山岡荘八原作の大河「春の坂道」でも「秀頼を生かそうとする家康」が描かれたそうですが、その時は出演者から「おかしいじゃない」という声がでて、山岡荘八が自ら出向いて「家康は生かそうとしたんだ」という弁舌をふるったようです。

「真田丸」の家康は人間的で面白いけれど、ちょっと「世俗的」過ぎます。大河「徳川家康」の家康は聖人君子にもほどがあり、嘘がバレバレです。私としては「真田太平記」の家康。あの中村梅之助の家康が「非常にバランスがとれていて」素晴らしいと思います。でも大河「徳川家康」は嘘を一貫して突き通したという点においては、逆に面白いとも思います。

見直される戦国武将たち・相変わらず見直されない戦国武将たち

2019年03月16日 | 戦国武将
昔は「愚将」と言われていたのに、今は「そうでもないぞ、いや結構名将かも」と言われている人は、考えつく限りでは以下の人たちです。

・今川義元

・武田勝頼

・織田信忠

・浅井長政(信長に抵抗した気骨が評価されることがあります)

・北条氏政(彼はまだ愚将扱いかも、でも見直しは始まっています)

・豊臣秀頼(体が大きく、ナヨナヨしてなくて、普通の人程度に賢かった程度の見直しです)

「それほどひどい武将でもなかったかも」となると、「小早川秀秋」がいます。映画「関ケ原」なんぞはそういう扱いでした。ただし「真田丸」は旧来の扱いでした。個人的には「裏切り金吾」は「裏切り金吾のままでいて欲しい」と思います。

「あまり話題にならなかったのに名将扱いとなっている」のは「大谷吉継」でしょう。真田信繁の義父という点でも「得をして」います。

「普通の人なんだぞ、いやとんだサイコ野郎だぞ」という集中攻撃を受けているのは「織田信長」です。でも彼は「頑丈」です。そういう集中攻撃に負けている感じがありません。

秀吉は、政治がからむと「東アジアの新秩序を建設しようとした」とか言われます。まあ違いますけどね。

政治がからまないと、秀吉には「昔の人気」はありません。「今太閤」なんて言葉も死語になってしまいました。なにかというと「本能寺の黒幕」にされます。いい迷惑でしょう。

次に「見直す」としたら「次の人々」です。

・朝倉義景

・宇喜多秀家

・六角承禎

・毛利輝元

・三好長慶と三好三人衆

・穴山梅雪と木曾義昌

三好長慶は実績がありますから、比較的簡単でしょう。でも他の人々の「名誉回復」は相当難しいでしょう。でも近頃の学者さんは「どんな無理をしても定説を覆す」ことを「出版社から要求されて」いますから、こういう人たちも今に「見直しが始まる」かも知れません。

天皇制を考えない

2019年03月16日 | 歴史
題名は間違いではありません。「天皇制を考える」ではなく「天皇制を考えない」です。

近頃、本当に考えません。元号が変わるのは面倒だな、ぐらいです。天皇家のお嬢さんの結婚にも何の興味もありません。

じゃあ昔は考えていたかというと、そりゃ今よりは考えていたでしょうが、特に深く考えたことはありません。

昔はお茶の水方面にいくと明治大学の前に「タテカンバン」があって、「天皇制打破」とかデカデカと書いてありました。だからそれを見ると、「なんとなくは考えて」いた気はします。

今はそういう風潮もないので、本当に考えないなと思います。

ただし「昭和天皇の戦争責任」や「君が代問題」は高校ぐらいからよく考えました。そして私なりの結論を得ましたが、特にそれを主張する気もないので、ここには書きません。

ついでに言うと邪馬台国も考えません。ヤマタイ→ヤマトの連続性があるとかないとか、畿内だとか九州だとか。そもそもヤマタイコクなんてないぞ、ヤマイチコクだとか、昔は「政治性がからんで」、随分と熱い「戦い」があった気がします。学問論争というより「政治論争」でした。まさに「天皇制をめぐる戦い」「政治の戦い」「右と左の戦い」です。

あの時代を考えると天皇問題も随分と「おだやか」になりました。

今上天皇の退位の理由は流石に聞きました。「昭和の終わりのように、天皇が重態になった時、国民がみんな喪に伏すようなことがあってはいけない」という部分が印象的です。

昭和の終わり、井上陽水がクルマのCMにでて「みなさん、お元気ですか」と言ったら、「天皇が病気なのに、お元気ですかとは何事だ!」と放送中止になりました。あれは悪夢です。今上天皇も「あれを繰り返してはいけない」と考えているようで、正しい選択だと思います。基本的に「いい人」みたいな気がします。会ったことも話したこともありませんが。これは天皇だからではなく、全ての老人(私も含む)に対して共通して思うことですが、穏やかな老後を過ごしていただきたいものです。