goo blog サービス終了のお知らせ 

100才まで生きてやる!

毎日楽しく生きる日刊ブログ

順を追って生きる!

2023年07月14日 | 家族クラブ
 自治会ゴルフで孫の話ができる人は意外に少ない。
苗字を継ぐ孫がいるかという話になると、さらに少なくなる。

以前、孫ができる条件について考えたことがあった。
そこで五つの関門(?)をくぐり抜けなければならないことを知った。

①自分が結婚する
②子どもが生まれる
③子どもが結婚する
➃子どもに子ども(孫)が生まれる
➄その年まで生きている

孫の顔を見るということは奇跡(?)に近い。
あるいは、こんなにも苛烈な条件が必要なのだ。

①でそうならず、②でそうならず、③でそうならず、➃でそうならず、➄でそうならなかった人たちを数多く知っている。

そんななか、とんでもない人たちがいることも知っている。
4人の子どもに3人ずつ子ども(孫)がいる人、別の人は3人の子どもにそれぞれ4人ずつ子ども(孫)がいる

どちらも合計12人の孫がいる計算だ。
多ければよいといことはないけれど、これはまたありえないことだ。
望んでもそうならないことの方が大きい。

望むかどうか・・・
しかし、後から望んでもどうしようもないのが孫なのだ・・・
人生は順を追って生きなければ・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

今年はハム!

2023年07月13日 | 家族クラブ
毎年夏は、姉にマンゴーを送っていた。
「太陽のタマゴ」という銘柄だ。

「今年もマンゴーでいいかな?」と打診したら、「ハムがイイかな!」という返信があった。

さっそくイオンに出かけた。
鹿児島産ハムがあったので、ルーツも考えてそれを選んだ。

一週間後、届いたという電話があった。
「ありがう!」
大阪に住んで50年以上がたつので、関西なまりのありがうだった。

家族のことをチョコッと話した。
いろいろタイヘンそうだ。
深入りはしなかった。

「人生~いろいろ~」
歌が聞こえた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

土屋ランドセル!

2023年06月07日 | 家族クラブ




ブログに載せるのを忘れていた。

5月の連休に宮崎観光ホテル別館であったランドセルの展示会に行ってきた。
ムスコ夫婦と孫たちと6人で出かけた。
土屋鞄主催の展示会だった。

土屋鞄はなじみがあった。
昔、帆布製のリュックとカバンを持っていたからだ。
巡るものだな。

田舎のことだから、閑散としたものだろうと思っていたら、ビックリ、二階会場は人、人、人であふれていた。
まるで密林の中を歩くようだった。

おまけに伴侶の弟たち家族にまで会ってしまった。
向こうも6人家族で来ていた。

さて、孫のランドセルはあらかじめ決まっていた。
黒色の、縁に縫い目のある定番のランドセルだった。
それを背負わせて、孫に「どう?」と聞いていたが、孫は興味なく、「いいよ!」と答えていた。

その後、ほかのパネルを見て回ったが、こんなにもたくさんの種類が必要かと思うくらい、ちがいのよく分からないランドセルが並んでいた。
まぁ、カタログで目星をつけ、現物確認に出かけたので、よかった。

ああ、とうとうこんなことになったのか!
来年は小学校入学なのか!
帰ってから、「みてね」を見返してみた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

家族の幸せ!

2023年05月12日 | 家族クラブ
伴侶が手紙をもってやって来た。
なにやらワタクシが伴侶に書いた手紙だという。
そんなことあったっけ?

A4一枚。
プリントアウトしてある。

読んでみると、ああ、なんとなく書いた記憶がある。
確か、自分の誕生日にムスコ夫婦といっしょに渡した手紙だ。

ワレながらなかなかいいことが書いてある。
その一つがコレだ。

これから家族にとって大事なこと。
①女性同士のつながり
②家族料理
➂女性の長生き

①②③は上位・下位の関係ではない。
この三つが同じくらいに大切だ。

①女性の同士のつながりとは、母と娘と嫁と孫娘のつながりのことだ。
女性同士が仲よしであれば、だいたい家族はうまくつながっていける。

②の家族料理とは家族が一堂に集まった時に食べる恒例の料理のことだ。
なんでもいい。
豚汁でもいいし、冷や汁でもいいし、鍋でも、すき焼きでもいいのだ。

③の女性が長生きというのは、やはり家族の中で女性が長生きして、行く末をしっかりと見て死ぬのが家族にとって安心できることだ。

①②③は家族の幸せというものだ。
たくさんの家族を見て、たくさん考えて、得た経験値だ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孫と幹事との「戦」い!

2022年12月31日 | 家族クラブ
漢字一文字が「戦」で締めくくられたくらい、今年はタイヘンな年だったが、わが家は、とりわけワタクシは、孫の世話と幹事の仕事で明け暮れた。
言わば、孫と幹事との「戦」いだった。

「なんで生きているのか考えたこともない」くらい毎日、なんかかんか、あった。
その意味ではまことに幸せな一年だった。

来年はいよいよ孫たち三人の世話が始まる。
上の子はとうとう最後の保育園だ。
孫たちの世話がますます濃く、激しくなりそうだ。

そして、ワタクシの人生四年周期がいよいよ上昇期に入る。
幹事としても、自分ゴルフの方も、勢いをつけていきたいものだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三人の兄弟関係!

2022年12月30日 | 家族クラブ
孫三人の衝撃がやっと鎮まりそうだ。

男女一人一人の場合は、ウチでもそうだが、薄い兄弟関係で終わるかもしれない。
一人っ子同士のような関係になりそうだ。

兄弟三人だと、上の男の子は下の子を意識してお兄ちゃんになり、真ん中の女の子は母親といっしょに下の子を世話してお姉ちゃんとなり、下の子は上二人を意識して大きくなるだろう。
つまり、兄弟関係が生まれるのだ。
三人というのはチャレンジしがいのある領域かもしれない。

育児や経済的なことを考えれば、夫婦二人だけだったら、子どもは一人か二人が限界だろう。
しかし、ウチはジジババの協力体制がある。
なんとかせねばならない。

まずは小学校入学までの6年間、ガンバろう!
もうその時にはすでに健康寿命を超えている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

百歳まで生きてやる!

2022年12月20日 | 家族クラブ
突然ですが、当ブログの名前を変えます!
改めまして「百歳まで生きてやる!」
「90才まで生きてやる!」の看板と入れ替えることにしました。

末孫の成長を見届けるには、90才では足りない!
百歳まで生きて見届けなければ無念だ!

90才でいいやという消極的な思いは捨てた。
強気で百歳まで生きる!

「百歳まで生きてやる!」
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

孫三人目の衝撃!

2022年12月20日 | 家族クラブ
孫三人目の衝撃は大きかった。
話を聞いた日は深夜1時に目が覚め、眠れなくなった。
いまだに動揺している。

トイレはどうするのだろうか・・・
車の座席は足りるのだろうか・・・
いろいろなことが頭を駆け巡った。

そして、かってに自分の年齢と照らし合わせるようになった。
つまり、小一に上がる時に自分は何才?ということだ。
中一? 高一? 大一?

さらにかってに「こりゃあ、90才では足りないぞ!」ということに思い至った。
百歳まで生きなければ!
百歳まで生きて下の孫の行く末を案じながら死ぬのだと。

確実に分かっているのは伴侶と二人、ワレワレサポート隊員はこれからがますますタイヘンということだ。
せめてあと十年は元気ピンピンでなければならない。

そして、孫>ゴルフの生活が永遠に続きそうな気がしてきた。
ま~だ死ねない!
永~く死ねない!
百歳!
百歳!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

三人目!!!

2022年12月18日 | 家族クラブ
青太マラソンの前日、12月11日土曜日のことだった。
鹿児島にも行ったし、いろいろあったし、お疲れさま会でもしましょう!ということで、ムスコ夫婦からランチのお誘いを受けた。
場所は「ダイニングかもめ」だった。

話が弾んで・・・
しばらくして・・・

「じつは・・・」とムスコが切り出した。
しばらく間があった時は、正直、いやな予感がした。

「ゲゲッ」という感じだった。
伴侶の横顔を見たら、同じように笑ってはいなかった。
何かよくないことでも起きたのか?

「じつは・・・」
聞き耳を立てた。

「三人目ができました!」

おい、おい、お~い!
冗談じゃない!
二人で打ち止めと言っていたじゃないかぁ~

さ、さんにんめぇ?
ゴルフの神さまがちょっとニヤついた気がした。

まったく考えたこともなかった。
チラッと頭をよぎることもなかった。
青天の霹靂とはこのことか!

三人・・・
三人目・・・
一、二、三・・・

あれから一週間がたつが、まだ頭の中は混乱している。
さいころゲームの振出しに戻った感じだ。

悪いけれど、「でかしたぞ!」とは言えなかった・・・
どちらかというと、「やっちゃったね・・・」という感じだった・・・
三人かぁ・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

鹿児島行!

2022年12月06日 | 家族クラブ
ムスコ家族といっしょに鹿児島に行って来た。
一泊二日の6人旅だった。

まず、都城から垂水に抜け、桜島に入った。
大正溶岩は松の木でおおわれてほとんど見えなかった。
55年前は荒々しく見えた記憶があったが・・・

フェリーで市内に入った。
孫はフェリー初体験だった。
外に出て甲板から見ようと誘ったが、怖がったので途中であきらめた。
まぁ、甲板から見ている人など、一人もいなかったけどね。

フェリーが高速船になっていた。
以前は30分くらいかかっていたと記憶しているが、アッという間に対岸についた。
車から降り、船室に移り、車に戻った・・・
そんな三部構成の乗船だった。


フェリーに乗っている間ずっと雨でかすんでいたが、入港する頃には雨が上がり、昼飯時にはきれいに晴れ上がった。

”回る寿司”「めっけもん」で食った。
30分くらい待たされたおかげで、うまかった。
孫は一度に口にかっ込み、全部戻した。
よくあることだ。

その後、水族館「イオワールド」に行った。
混んでいたが、運よく入れ替わりに駐車できた。

中に入ろうとしたら、外でイルカが見られるということで、館の前の運河に行った。
何のことはない、天然イルカがピョンピョン、ジャンプしているだけだった。

ちょっとガッカリしたまま、中に入った。
修学旅行生がいっぱいいた。

孫は高速で館内を回って行った。
クラゲのところでちょっと立ち止まったっきり、ロクに見てもいないようだった。
年齢的にちょっと早すぎたか・・・

館内でもイルカショーがあるというので、かなり期待して待ったが、間延びした演出で、イルカの演技も低調で、まったくつまらなかった。
イルカランドの方がましだ。

ガラスの正面に桜島が遠望できるところで南国製菓の「白くま」を食った。
回りも「白くま」を食っていた。

お土産を買うということで、売店に行ったが、目新しいものは何もなかった。
このごろ、売店はどこもみな、似たり寄ったりだ。

ホテルのチェックインまでの時間つぶしのため、大型遊具のある公園に行った。
近くに大久保利通の銅像が立っていた。

子ども連れの家族でにぎわっていた。
孫は人を掻き分けて、遊具にチャレンジしていた。

暮れかかった頃、町の駐車場に車を止めて、ホテルまで歩いた。
荷物が重たかった。

10月に新築したばかりのホテルで、なんもかんも新しかった。
ロフトベットがあり、最大で6人くらい泊まれる部屋を二部屋とり、3人ずつで寝た。
ベッドがムダに余った。

一人頭の料金設定だったので、その方がお得だったようだ。
宿泊費の半額は手出しした。

夜は中央駅まで歩いて行って、”ざぼんラーメン”を食べた。
うまくもまずくもなく、なんの変哲もないラーメンだった。

ホテルに戻って、孫と”ざぼんラーメン”店でもらったトランプをした。
ババ抜きと芋ほりをした。

すぐに寝るかと思ったが、トランプに夢中になり、「勝つまでする!」と言い張って、やっと一勝して寝たのは10時過ぎだった。
ダレた。

翌日はロビーのビュッヘにある食べ物をパックに詰めて、部屋でいただくという、なんともヘンチクリンな朝食だった。
なるほど、食事処のフロアーがなかったからだな・・・
それにスタッフ不足かな・・・

翌日は”平川動物園”オンリーだった。
9時ごろホテルを出た。

産業道路を南進した。
なんか30年前より市街地が広くなっている感じがした。
埋め立てたかな・・・

途中、松原町や日の出町やらに親戚がたくさんいたことを思い出した。
親戚の家に泊まっていた夜に桜島が噴火して、チョ~驚いた記憶がある。
爆風でガタッとガラス窓が外れるほど揺れて、生きた心地がしなかったが、その後、60年も生きている。

入り口を入った眼前にキリン、サイ、しまウマがいた。
磯庭園のように、桜島を借景してサファリが広がっていた。
平川動物園で一番よかったのは最初のこの景色だけだった。

いちおう、ぐるぐると順路どおりに回ったが、隠れているのか、まったく何がいるのか分からないところが多かった。
コアラだけじっくり見た。

「乗り物館」というところがあった。
てっきりクラシックカーなんぞが置いてあるのだろうと思って入ったら、子どもが乗る遊具があるだけだった。
料金設定が50円均一というのはありがたかった。
100円を50円に両替できる両替機があった。
全部乗らせて、外に出た。

ゴーカートに乗りたいというので高台に上がったが、消毒時間ということで、キュウキョ、観覧車に乗った。
孫は怖いと言っていやがったが、ムリやり乗せたら、気に入ったらしく、真下を覗き込んでいた。
やっぱり体験は大事だ。

100円で歩くキリンがいた。
後ろに待っている人がいたが、追加の100円を入れ込んで、独占した。

消毒が済んだので、ゴーカートに乗ることになった。
4人ずつしか交代できないので、30分は待っただろうか。

クネクネのコースを回って3分くらいで終わった。
30分待って、3分とは・・・
まぁ、券一枚で二人も乗れたので文句はない。

さぁ、帰ろうとしたら、ムスコがホテルにスマホを忘れていたようだ。
帰りがけにホテルに戻ることにした。
ムダな時間だった。

3号線を走り、高速に乗り、100キロ越えのスピードで飛ぶように帰った。
着いたのは6時頃だった。
計画より2時間も遅かった。

「トランプしよう!」と孫が叫ぶなか、手を振りながらムスコ宅を出た。
家に帰り着いて、バッタンきゅ~かと思いきや、目が冴えて寝たのはいつもの10時だった。

ああ、長い旅がやっと終わった・・・
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

大分旅行!

2022年08月01日 | 家族クラブ
8月に家族旅行が組み込まれている。
ムスコ家族と合同の6人旅だ。
別府で二泊三日、ここを拠点に観光地を巡る。

子どもたちが小学生の頃に行ったことのある大分への旅だ。
ああ、昔、行ったなぁ・・・
もう30年も前かぁ・・・
3000CCのインスパイヤ―に乗って・・・
(これは伴侶の車)

しかし、なぜか、行った先の記憶がトギレトギレだ・・・
サル山とキジマ公園以外、ほとんど思い出せない・・・

あの時は・・・確か・・・
由布院からやまなみハイウェイで大分に入ったハズ・・・
途中、濃霧でひどい目に遭ったのをかすかに覚えている・・・

車で旅行するのはあまり好きではない。
それ以降は、バスか、鉄道の旅に切り替えたはずだ。

今回の大分旅行は孫たちがまだ小さいこともあって、ムスコ宅の車で行く。
6人乗りなので、ずっと一緒だ。
また一つ、思い出が増えていく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

チーム〇〇!

2022年07月05日 | 家族クラブ


孫が保育園で描いた絵だ。

「絵、描くの好き?」ときいたら、首を横に振った。
「何が好き?」ときいたら、「折り紙!」と答えた。

どおりでちょっと分かりにくい。
でも、きちんと思いが出ている絵だ。

ずっと「チーム〇〇(ここは苗字)」でガンバってきた。
夫婦二人だけの子育てでは何かと不自由だ。
どうしても人の手を借りなければならないことがある。

その時、ジッチとバッパはひょいひょいと馳せ参じた。
毎朝、遠距離通勤の夫婦に代わって、孫二人を保育園に送っている。
保育園から連絡があれば、引き取って、病院にも連れて行く。
こんな孫育てをしているジジババも珍しいだろう。

だから、孫はこんな絵をかいてくれたのだ。
孫が描いたのはパパ、ママ、妹、ジッチとバッパ、そして自分だ。

6人の「チーム〇〇(ここは苗字)」!
孫の記憶にしっかりと6人がうつっている!
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

守り神!

2022年06月28日 | 家族クラブ
ワタクシの父はワタクシが40才の時に亡くなった。
87才だった。
(ワタクシは父47才の時の子だ)

父が亡くなってから、それからワタクシは父に見守られている感覚をもつようになった。

ちょっと薄気味悪い話かもしれないが、悪霊でも、死霊でもないので、そこのところは安心してくだされ。

守り神のような存在だ。
(いないのだけれども・・・)
いつも肩のところあたりにいて、ずっとワタクシを守ってくれている。

いくつかの艱難辛苦を乗り越えられたのも父のおかげだ。
無事に定年退職までやってこられたのも父のおかげだ。

これからもずっと肩のところにいて、いつもワタクシを見守ってくれることだろう。
ワタクシがこの世を去る時まで。

ワタクシがこの世を去ったら、今度はワタクシが息子を見守る番だ。
そうやって、守り神の役はじゅんぐりに回っていく。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

入学祝い金!

2022年06月17日 | 家族クラブ
来年、ムスメの上の子が小学校へ入学する。
伴侶と散歩の途中でお祝い金の話になった。

「金額をどうする?」と伴侶に聞かれたので、前々から構想していた入学祝い金の額をしゃべった。
・小学校入学:5万円
・中学校入学:10万円
・高校入学: 15万円
・大学入学: 20万円

それぞれ、こんなふうに考えているという話もした。
・小学校5万円はランドセル代
・中学校10万円は制服代
・高校15万円教科書・参考書代
・大学20万円敷金代

入学祝い金の一人当たりの支給額はちょうど50万円。
孫4人への総支給額はなんと200万円だ。

ザッ~とこんな話をした。
すると、なんと、OKが出た!
太っ腹じゃのう!

というワケで、来年から200万円拠出の流れができる。
ひとたび始まれば、途中で変更するわけにもいかない。

投資ということではない。
分福という方が合っている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

総領!

2022年05月11日 | 家族クラブ
「総領」ということばは昨今、あまり聞かれなくなった。

「総領」とは兄弟姉妹の中の第一子長男で、土地財産を引き継ぐかわりに、冠婚葬祭全部を任される。
なかなかに責任の重い立場だ。

昨今、兄弟姉妹が少なくなったからなぁ・・・
それに、上から順に親元を離れるからなぁ・・・

家族や家系への思いがだんだんと薄くなっている。
みんなが根無し草のようになっている。

そうだ!
孫には墓守の話をしておこう!
どこに行っても、どこに住んでも構わないが、1年に一回くらいは墓参りをするようにと。

墓守が唯一の総領の責任か?
やがてそれも消えるだろうか?
それも総領が決めるか?
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする