かちこのアメリカ奮闘記その後

アメリカの大学院での登録栄養士(RD)を取得、帰国して日本の病院でNST奮闘中

心に残る経腸栄養の患者たち~その後~

2016年04月12日 | 日本の病院での奮闘記

今日はびっくりぽん!なことがありました

近所のスーパーで夕飯の献立を考えながらぼーっと棚を見ていると

ベビーカーの私の子供をのぞき込む初老の男性

「かわいいですね~」と言いながら私の方に顔を向けたその顔に見覚えが・・・

しばしその方の顔を真顔で じ~っ と見てしまいました

・・・そして、私の担当していた、あの患者さんの旦那様だ~!!!

と気づいたのです!

「もしかしてもしかして、〇〇病院(私の勤務先)に前に入院されていた方の旦那様ですか?」

すると

「そうです。・・・あなたは???」と。

そう、実はこの方の奥様は、私にとって忘れられない患者様だったのです

詳しくは昨年出版になった「心に残る経腸栄養の患者たち」に

掲載されていますが

この方の奥様は私の担当した経腸栄養の患者さんだったのです。

私の病院に転院してこられたときは

目を開けるのがやっとで、自分で体を動かすことも、

息をすることもできなかった、

骨と皮だけにやせ細った、

人工呼吸器でかろうじて命をつなぎとめているだけの

初老の女性だったのです

なんとか命だけはとりとめたものの、

あまりの低栄養と全身状態の悪化により、

身体の筋肉がほとんどなくなってしまい、

自分のつばさえ飲み込むことができない状態でした

その患者さんが胃瘻をつくり、いつか自分の口から食べられるようになることを目標に

経腸栄養を始めました

結局一か月以上私の病院にいらっしゃいましたが、

療養型の病院に転院されるまで

ずっと嚥下(飲み込み)の訓練を続けていました

あまりの嚥下機能の低下のために

食べ物は食べられない状態でした

でも経腸栄養で十分に栄養を入れることで

全身状態はかなり改善し、体重もやや増えてきたところでの転院でした

入院されたときは声も出せなかったのに

「大きな声をたくさん出すと嚥下の訓練にもなりますよ」という私の言葉に

よく病室で歌を歌われていた患者さん。

その方にいつも付き添われていたのが今日偶然お会いした旦那様だったのです

食べ物は食べられないまま転院されたこの患者さんですが、

節目節目で私の病院にいらっしゃり、

その後胃瘻の交換、

最終的には

胃瘻の抜去

最後にお会いした時には普通食(ふつうのごはんにふつうのおかず)を

お出しし、持病の糖尿病の栄養指導までさせていただいた患者さん、の旦那様だったのです

 

聞くと奥様はお元気で

旦那様は奥様の飲むビールがなかったので買いに来たとのこと。

歩けるしなんでも食べれるんですよ~ととっても嬉しそうにお話ししてくださいました

「食べるための胃瘻」

一時的に胃に穴をあけ、そこへ栄養剤を直接入れることで

腸を動かし

全身の栄養状態を改善することで

病気を改善し

リハビリを後押しし

最終的には再び自分の口から食べられるようにする

 

「食べるための胃瘻」

 

あるテレビ番組の影響で胃瘻をつくることがいけないことのような風潮がありましたが

「栄養剤で生きる屍を増やす」のではなく

再び食べられるようになるために胃瘻を作って

最終的に食べられるようになった患者さん

たまたま胃瘻を交換するのも抜去するのも私の病院に来てくださったために

胃瘻造設から抜去まで全ての段階を

垣間見ることができました

その感動から2年ほど。

完全に普通の生活を楽しみ

夕食にはビールを飲んじゃう患者さんの様子を垣間見ることができました

 

ちなみに、私の家のご近所に住んでいることが発覚。

「今度赤ちゃんを連れて遊びにきてください」と

うれしい言葉をかけていただきました

 

管理栄養士をしていてよかった・・・と心底思えた一日でした