1月7日に参議院議員の資産報告書が公開され、
翌8日の新聞各紙にその内容が報道されました。
ある新聞の1面に掲載された記事の記述において、
私の居住地について事実と異なるよう誤解を与える
表現がありましたのでこの場を借りて訂正をさせて頂きます。
上記記事では、私が、育った東京都大田区に建物を所有し、
同時に建築のための借入金があることから、
「東京都内に住んでいる」と誤解を与える記述となっていました。
このブログをご覧になっている方は、すでにご存じかと思いますが、
私は、埼玉選挙区での出馬を決意して以来、現在も夫とともに浦和に
居住しております。
この際ですので、もう少し詳しく状況をご説明させて頂きます。
所有する建物は、両親の年齢や健康状態・経済状態を考え、
親が所有する土地(私が育った土地)に、両親、夫と私の住居と、
父が営んでいる工務店の作業スペース等として建築し、
夫と私の共有物としております。
これまで育ててくれた両親に対して私ができる最後の親孝行のつもりで
建てた建物ですので、今も両親の生活の場となっているため、
売却の予定はありません。
当初は、病気の父に工務店をたたんでもらい、私たち夫婦とひとつ屋根の下
で暮らし、少しでも楽をしてもらうつもりで家を建てることを決めました。
ところが、根っからの働き者の父は、今でも工務店稼業を続けており、
また、私の埼玉での出馬が決まってからは、私たち夫婦は埼玉に引っ越して
しまいました。家は建てたものの、満足できる親孝行ができていないので
両親には申し訳なく思っています。
建築を計画した時点ではまったく想像していませんでしたが、
06年12月末に、党本部から埼玉選挙区で参院選出馬の話を頂き、
出馬を決意した直後の07年1月下旬には、夫と共にさいたま市浦和区
高砂に移り住んでいます。
現住所は浦和区高砂であり、浦和区岸町の事務所と高砂の住居を拠点に
活動を行っております。国会へは浦和から通勤しております。
(浦和の住居は賃貸です。)
埼玉県を選挙区として選任された国会議員として、これからも地元で
ある埼玉で実際に生活しながら地域の皆様にご指導頂きたいと
思っております。
埼玉に移り住んでようやく1年が経とうとしています。
落下傘候補として立候補させて頂いた私ですが、
6年間じっくり時間をかけて、埼玉という地に足をつけていきたい、
と思っていた矢先に、このような報道がなされたことを
悲しく思っております。
記者の方とのコミュニケーション不足があったのかもしれません。
このブログをご覧いただいている皆様には、
私の埼玉にたいする気持ちをお汲み取り頂ければ幸いです。
翌8日の新聞各紙にその内容が報道されました。
ある新聞の1面に掲載された記事の記述において、
私の居住地について事実と異なるよう誤解を与える
表現がありましたのでこの場を借りて訂正をさせて頂きます。
上記記事では、私が、育った東京都大田区に建物を所有し、
同時に建築のための借入金があることから、
「東京都内に住んでいる」と誤解を与える記述となっていました。
このブログをご覧になっている方は、すでにご存じかと思いますが、
私は、埼玉選挙区での出馬を決意して以来、現在も夫とともに浦和に
居住しております。
この際ですので、もう少し詳しく状況をご説明させて頂きます。
所有する建物は、両親の年齢や健康状態・経済状態を考え、
親が所有する土地(私が育った土地)に、両親、夫と私の住居と、
父が営んでいる工務店の作業スペース等として建築し、
夫と私の共有物としております。
これまで育ててくれた両親に対して私ができる最後の親孝行のつもりで
建てた建物ですので、今も両親の生活の場となっているため、
売却の予定はありません。
当初は、病気の父に工務店をたたんでもらい、私たち夫婦とひとつ屋根の下
で暮らし、少しでも楽をしてもらうつもりで家を建てることを決めました。
ところが、根っからの働き者の父は、今でも工務店稼業を続けており、
また、私の埼玉での出馬が決まってからは、私たち夫婦は埼玉に引っ越して
しまいました。家は建てたものの、満足できる親孝行ができていないので
両親には申し訳なく思っています。
建築を計画した時点ではまったく想像していませんでしたが、
06年12月末に、党本部から埼玉選挙区で参院選出馬の話を頂き、
出馬を決意した直後の07年1月下旬には、夫と共にさいたま市浦和区
高砂に移り住んでいます。
現住所は浦和区高砂であり、浦和区岸町の事務所と高砂の住居を拠点に
活動を行っております。国会へは浦和から通勤しております。
(浦和の住居は賃貸です。)
埼玉県を選挙区として選任された国会議員として、これからも地元で
ある埼玉で実際に生活しながら地域の皆様にご指導頂きたいと
思っております。
埼玉に移り住んでようやく1年が経とうとしています。
落下傘候補として立候補させて頂いた私ですが、
6年間じっくり時間をかけて、埼玉という地に足をつけていきたい、
と思っていた矢先に、このような報道がなされたことを
悲しく思っております。
記者の方とのコミュニケーション不足があったのかもしれません。
このブログをご覧いただいている皆様には、
私の埼玉にたいする気持ちをお汲み取り頂ければ幸いです。