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相撲史に関心・興味のある方どうぞ

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なんで「二枚鑑札」認めないのか

2021-12-22 21:54:31 | 日記
 昭和五年春場所 番附
西前頭十四枚目、東関 楯右エ門。
 これが「二枚鑑札」のうち年寄名を
醜名とした最後の記録だ。大正十三年
夏場所、鞍ヶ嶽〔旧熊本藩主命名とか〕
から改名した。

 現在の日本相撲協会の規則類に「二枚鑑札」
の四字熟語はないみたい。
 だから、最近の元関脇金剛らの如く、年寄
&部屋継承が決ったら、現役力士を引退と
なりそう…。時津海改め時津風もそうだったな。
未だ、幕内力士として充分通用したはずだが。
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二枚鑑札 (shin2)
2021-12-23 17:05:57
「二枚鑑札」のウィキペディアによると、
>>戦後(1958年)になって行司の年寄兼任が廃止された際に、力士の二枚鑑札も実質的に廃止となったと考えられている。
>>その後のケースとしては、1959年11月から1960年5月まで、8代春日野(元横綱・栃木山守也)の死去によって横綱栃錦清隆が9代春日野を襲名したのが例外的なものである。
とのことだ。
佐賀ノ花の二所ノ関から金剛へ継承するまでの間、暫定的に十勝岩の湊川親方が二所ノ関を襲名していた。二枚鑑札を認めないなら暫定方式でもいいのでは、と思うが、昔から継承独立問題でトラブルが多い二所ノ関部屋は、師弟関係より「二所ノ関ブランド」を優先して、横綱稀勢の里に二所ノ関を継承させる選択をした。
これが正解がどうかは現時点ではわからない。
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