前稿のつづき。
A新聞社発行の昭和三七年に終刊となった
『……画報』の前号━前年「十一月場所展望
號」へ彦山光三が連載・寄稿した「大相撲太
平記」第30回〔「…黒白草紙」は彦山翁急逝
で27回で終った。〕に拠れば、元大関伊勢ノ濱
は趣味に小説を書いた。彼の明け荷には「原稿
用紙」が入っていた。当時の雑誌、『新小説』
もしくは『文藝俱楽部』に伊勢ノ濱の作品が
掲載されていた云々。
HPで調べてみたら━。
『新小説』は、明治二二年に創刊、同二四年か
ら二八年まで休刊し、翌二九年に復刊、昭和二
年に廃刊。
『文藝俱楽部』は、明治二八年の創刊、昭和八
年に廃刊。発行元は、博文館。相撲関係の出版
物も沢山あった。
ところが肝腎の伊勢ノ濱が書いた小説類の
タイトルがてんでわからない。御存知の方、
是非とも御教示いただきたい。
A新聞社発行の昭和三七年に終刊となった
『……画報』の前号━前年「十一月場所展望
號」へ彦山光三が連載・寄稿した「大相撲太
平記」第30回〔「…黒白草紙」は彦山翁急逝
で27回で終った。〕に拠れば、元大関伊勢ノ濱
は趣味に小説を書いた。彼の明け荷には「原稿
用紙」が入っていた。当時の雑誌、『新小説』
もしくは『文藝俱楽部』に伊勢ノ濱の作品が
掲載されていた云々。
HPで調べてみたら━。
『新小説』は、明治二二年に創刊、同二四年か
ら二八年まで休刊し、翌二九年に復刊、昭和二
年に廃刊。
『文藝俱楽部』は、明治二八年の創刊、昭和八
年に廃刊。発行元は、博文館。相撲関係の出版
物も沢山あった。
ところが肝腎の伊勢ノ濱が書いた小説類の
タイトルがてんでわからない。御存知の方、
是非とも御教示いただきたい。
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