気になって仕方がないので、最近
落手の大正期における相撲専門誌等
によって、『東京日日』紙に登場の
「小田山」について調査してみた。
最高位は、大正十五年春の十両三
枚目である。古番附で未確認だが、
「小田野山 權藏」と書かれているら
しい。当場所、負越しているが、幕内
力士を2人も破っているのだった。
略歴。神奈川県…出身、宮城野部屋
〔断じて「鳳部屋」じゃぁない。〕で、
明治二十八年生れ、本名は二見權三。
角界旧体制の大正十五年夏は、十両
どん尻に落され、3勝3敗━千穐楽は
幕下五枚目の天竜〔後関脇=相撲評論家〕
から白星を得て…負越しを免れたのに
新体制の翌昭和二年春は、十両にも幕下
にも彼の名が見当らない。
昭和の土俵へ一度だって上っていたら
Wikipediaで検索すれば出てくるはず。
落手の大正期における相撲専門誌等
によって、『東京日日』紙に登場の
「小田山」について調査してみた。
最高位は、大正十五年春の十両三
枚目である。古番附で未確認だが、
「小田野山 權藏」と書かれているら
しい。当場所、負越しているが、幕内
力士を2人も破っているのだった。
略歴。神奈川県…出身、宮城野部屋
〔断じて「鳳部屋」じゃぁない。〕で、
明治二十八年生れ、本名は二見權三。
角界旧体制の大正十五年夏は、十両
どん尻に落され、3勝3敗━千穐楽は
幕下五枚目の天竜〔後関脇=相撲評論家〕
から白星を得て…負越しを免れたのに
新体制の翌昭和二年春は、十両にも幕下
にも彼の名が見当らない。
昭和の土俵へ一度だって上っていたら
Wikipediaで検索すれば出てくるはず。
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