Ryojinブログ

剣道のこと、オオカミ復活運動のこと、そして紀州犬のことやいつも行き来している大好きな京都のネタなども綴っていきます。

剣道・・・意識と身体の関係・・。

2015-11-15 13:16:03 | 剣道のこと

  最近、剣道、稽古をやっていて特に強く感じることがあります。

それは今更何をと、云われるかも知れませんが剣道における心と身体の関係についてのことです。

僕なりに明確な考えが確立してきました。確立と云うより生意気なようですが少し理解ができてきた・・・と云う方が正しいかも知れません。

  剣道ではいわゆる「気」とか「攻めが強い」とか「剣先が強い」とかと云うような表現でその人の剣道の強さとか実力とかを計ったり表現したりするのですが、さて、その「気」とか「攻め」とかは一体何なのか、これがなかなか言葉では説明がつきません。一般的にも「気圧される・・」とか「圧倒される・・・」とか・・そんなような表現しますよね。

一見「その人の醸し出すオーラのようなもの・・・」と云う表現をする人もいますがとにかく確実に存在する剣道の強さのバロメーターであることは間違いありません。

  例えばある程度の実力を備えた者が一種の「自信」のようなものを持ったときにその力は更に向上します。これは別段、剣道に限ったことではありませんが、そんなことってよくあるように思えます。

  剣道は当然ながら相手が存在し、それと対峙し、お互い竹刀を交え打ち合う訳で、そこにはそれを駆使する肉体が介在しているのですが、不思議なことに肉体の強さだけでは計り知れない別の強さが確実に存在するのです。

でなければ、ある程度高齢(例外的にはかなりの高齢者もいますし、もちろん彼らは相応の修行を積んできているという条件はありますが・・・)の剣道家が強い高校生や大学生、また若い剣道の専門家達とまともに渡り合えるはずがありません、他のスポーツの常識では・・・・。

しかし、剣道の世界にはそれがそうではない現象が日常的に現れます。

  そこで、少し話はそれますが「他人の評価」特に第三者の間接的な三人称における、もちろん良い評価「褒め」みたいなものですね、これがその褒められた当事者の相当な自信につながり、すなわち心を強く持てるようになり、更には実際に剣道をする身体といかパフォーマンスというか、それに大変な影響を与えてくる、これってあるんですよね実際、体験的に判ります僕は・・・。

この「意識」の強さと身体の関係は、まか不思議ではありますがはっきりと絶対的に存在しますと云うより剣道はそれで成り立っていると言っても過言ではありません。

「気」とか「攻め」とかは謎なんです、測れないんです。しかし上記の通り在るわけです。

  最近剣道をしていて「俺は今が一番強い」と云う気持ちを強く持つようになりました。7段を取得した30代後半から更に40代の頃よりも今がです・・・。

  そこには僕なりに成熟してきた意識の強さと、第三者、もしくは目の前の人から頂ける評価のようなもの(目前の人の言うことは、その人が社交辞令でどこまでが本当か、また掛け値なく本当か、その位は見分けられますから・・・・)を力に変えていける心の触媒機のようなそんなものが持てるようになったからだと思います。

そしてそれが実際の剣道の稽古や立合に確実に影響を及ぼす「具体的な力」として認識できるようになってきました。

まぁ、ただ生来の図々しさが進化しただけかも知れませんがね・・・(笑)

一見自慢げな話のようですが、これは決して僕だけの話ではなく普遍的にある人間の能力の一環の話だと思っています。

  意識と身体の関係・・・これ突き詰めていけば、人生における様々な逆境や困難に対処できうるとてつもない能力を生み出す要素なのかも知れません。

こういう締め方で終わります。

 

 

 

 

コメント
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