皆様方も、何かにつけ、実質が無いにも関わらず「自慢話しをする人」、つまり「誇り高ぶる人」をご存知かも知れません。ご承知の通り、自己顕示欲が強く「誇り高ぶる人」は、他の人を築き上げるのに良い言葉を話しません(エフェソス4:29)。ですから、周りの人はそのような人から離れていたいと思われるに違いありません。
「誇りの気持ち」はごう慢な気質を育て、愛や優しい気遣いが密接に関係する「忠節」という、重要な特質を損なう危険があります。ですから「誇り」について注意を払うのは肝心なことです。「誇りの気質」は「謙遜な気質」と180度異なるのです。
聖書の箴言は、「誇り」、つまり「自らの自慢」を戒め、次のように教えています。
「あなたは自分の口ではなく、よその者があなたをたたえるように。あなた自身の唇ではなく、異国の者がそうするように」(箴言27:2)。
上の聖句が述べている通り、自ら自慢話しをし、誇ることがないように教えています。他の人に愛を動機として進んで仕え、善を行なえば、他の人、及び異国の者、つまり遠くに住んでいる人までが「あなたをたたえるように」なることを教えています。上の箴言は「誇りの気質」を抱かないように教えていることが分かります。
ですから、聖書は若い人にも年長者にも「ごう慢な者」となることなく、「謙遜な者」となるなら、神エホバがあなた方を高めてくださることを次のように教えています。
「同じように、若い人たちよ、年長者たちに服しなさい。しかし、あなた方はみな互いに対してへりくだった思いを身に着けなさい。神(エホバ)はごう慢な者に敵対し、謙遜な者に過分のご親切を施されるからです。
それゆえ、神(エホバ)の力強いみ手のもとにあって謙遜な者となりなさい。そうすれば、神(エホバ)はしかるべき時にあなた方を高めてくださるのです」(ペテロ第一5:5,6)。
また、聖書は次のように勧めています。「・・・他の人が自分より上であると考えてへりくだった思いを持ち、自分の益を図って自分の事だけに目を留めず、人の益を図って他の人の事にも目を留めなさい」(フイリピ2:3,4)。このような神エホバの教えを適用するなら、誇り、ごう慢な者となることなく、謙遜な者として歩むことができるでしょう。
イエスは地上に遣わされていたいた間、神エホバの子でありながら、「自分を無にして奴隷の形を取り、・・・自分を低くして」、手本を模範として残されていますので、私たちもイエスの精神態度に見倣い、誇りに根ざしたごう慢な者ではなく、謙遜な者として祝福を受けたいものです(フィリピ2:5~8.ペテロ第一2:21)。
花火師の 匠の業の 花火かな 今日の一句
裏庭に咲いている「姫ヒマワリ」
誇り(ほこり)と書いているので、
驕り(おごり)じゃないのかな?と思ってしまいます。
お早うございます♪
夏本番ですが、「モモ」様もお変わりなくお過ごしであれば嬉しく存じます🎵
おばあちゃんも、その後落ち着いた状況でしょうか、
そうであることを心から願っています♪
22~24日の松山での地区大会は、感動、感動、感動に包まれ、
JWの民の一人として幸福感に満たされました♪
現在の多くの人々は「忠節」ということがどれほど大切か、
ということを考えませんが、私たちは聖書から「忠節な生き方」が、
現在も将来も永続する幸福がもたらされることを例証し、
エホバ神の祝福を確信することができ、深い感謝の念に包まれ、
まさに「忠節」は愛に密着したものであることを学び、喜びの連続でした♪
大会で扱われた感動的な三つの劇は、司会者のY兄弟が、
JW.ORGから案内して頂けると思いますので、楽しみにしてくだされば幸いです♪
大会で隣の会衆のY姉妹にもお目にかかりました。
Y姉妹も「モモ」様のことをとても喜んでお話をしてくださいました♪
聖書が教える「誇り」という言葉は、分かり易く言えば、
過渡なうぬぼれ、自己中心主義や尊大さ、ごう慢さです。
洞察の本の第二巻835ページの「誇り」の説明を
お調べくだされば嬉しく存じます🎵
「誇り」は、文脈によって良い意味にも用いられていますので、
「モモ」様が感じられているように「驕り」の言葉の方が分かり易いのかも知れません。
聖書に基づき「誇り」の言葉を用いさせて頂きました♪
箴言は「誇りは崩壊に先立つ」と、教えています。
ご参考にしてくだされば幸いです♪
感謝とクリスチャン愛を添えて♪