聖書を学ばれたことのないない方々にとって、偉大な創造者エホバ神が、親しく近づくように招いてくださっている、ことなど考えることはなかったかも知れません。父親が子供たちを優しく迎えるように、み父エホバ神は、私たちを「我が子よ」と呼びかけてくださっています(箴言2:1;3:1、11;4:20;5:1;6:1,20)。エホバ神は私たち男性も女性も神の像(かたち)に創造してくださった、愛と公正と知恵と力と命の源の神であり、私たちのお父さんなのです(創世記1:26,27)。
今日は主題の聖句ヤコブ4章8節の意味を再び考えたいと思います。簡潔な言葉で私たちを招いてくださっています。神エホバの招きに応じることによってゴールを迎えるのではありません。私たちが神エホバへの忠実を保つ限り、私たちの歩みは決して終わりません。神エホバに近づいて行くことに終わりはないのです。いくら学んでも、神エホバについて学ぶべき事柄はさらにあるからです。聖書が神エホバについて述べている事柄のほんの一部について私たちは学んだに過ぎないのです。聖書も、神エホバについて知るべき事柄のすべてを説明しているわけではありません。例えば、私たちの生命の存在を可能にしている、物理的法則の重力、電磁力、強い核力、弱い核力など、神エホバの定められた法則には、学ぶべきことが実に多いのです。使途ヨハネが記している通り、イエスが地上での宣教期間中に行った事柄全部を記すとすれば、「世界そのものといえども、その書かれた巻き物(冊子本が考案されるまでは、み言葉の真理は巻物に記されていました)を治めることはできない」でしょう(ヨハネ21:25)。み子イエスについてそう言えるのであれば、み父エホバについてはなおさらのことです。
とこしえの命を得ても、神エホバについて学ぶことに終わりはありません(伝道の書3:11)。将来の保証された祝福について考えてみてください(ペテロ第二3:13.啓示21:4)。義の宿る地上の楽園で、1、000年、1万年、1億年、幾十億年も生きた後、私たちは偉大な創造者エホバについて、今よりもはるかに多くの事柄を学び知っているでしょう。それでも、、神エホバについて学ぶべき事柄がまだ限りなくある、と感じるのです。学べば学ぶほど、是非もっと学びたいと思うことでしょう。私たちに備えられている脳は、科学的に調べると無限の能力が備えられている、と言われるのはそのためです。私たちにとって「神(エホバ)に近づくことは良いことです」と、霊感を受けて書き記した詩編作者と同じ気持ちを抱く理由が常にあるからです(詩編73:28)。とこしえの命は、現在では想像もつかないほど、豊かなもの、無上の歓びに富むものとなるでしょう(詩編37:11)。そして、偉大な創造者エホバに近づくことは、いつでも、その最も報いの多い部分となるでしょう(啓示22:1,2)。
今、神エホバの比類のない愛にこたえ、心と魂(命)と思いと力をこめてお父さんエホバを愛してください(マルコ12:29,30)。聖書が備えられたことに深く感謝し、忠節で確固とした神エホバへの愛を抱くのです。大小を問わず、日毎に下す決定すべてに、普遍の指針となる神エホバの教えの原則を反映させましょう。つまり、命の糧と霊的な糧の全てを与え続けてくださる天の父エホバとの、いっそうの強固な関係に至る道を常に選ぶ、という原則です。そして何よりも、とこしえにわたって、あなたが神エホバにいっそう近づき、お父さんエホバもあなたにいっそう近づいてくださいますように。
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王国会館の花壇の「クリサンセマム」
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