偉大な創造者エホバ神は、ご自分の預言者イザヤを用い、神エホバは、頑固な民イスラエル人に一日中両手を広げて、救いの手を差し伸べていることを明らかにされました(イザヤ65:2)。
頑固なイスラエル人は、恥ずべき行いによって幾度も神エホバを怒らせました。神エホバはイスラエルの民の不快な行為をイザヤを通して次のように言われました。
「その民(イスラエルの民)は(神殿ではなく)庭園で犠牲を捧げ、れんがの上で犠牲の煙を立ち上がらせ、絶えず(エホバの)面と向かって怒らせている。彼ら(イスラエルの民)は墓地に座り、ひそかな場所で夜を過ごし、豚の肉を食べ、不潔なものの煮汁を器に入れている。彼ら(イスラエルの民)は言う。「離れていろ。私に近寄るな。私はあなたより清いからだ」と。これらは私(エホバ)の鼻の中の煙、一日中燃える火である」(イザヤ65:3~5)。
当時の信心深げなイスラエルの人々は、絶えず神エホバに面と向かって、厚顔さや不敬な態度を表し、神エホバを怒らせています。自分たちの忌まわしい態度を隠そうともしません。誉れと清い崇拝を受けるべき方エホバ神の前で罪を犯すとは言語道断ではないっでしょうか。
実のところ、これら独り善がりな人たちは、他のイスラエル人に、「離れていろ。私に近寄るな。私はあなたより清いからだ」と、言っているのです。何と言う偽善でしょう。それら、「信心深さ」を装う者たちは、偽りの神々に犠牲を捧げ、香をたいています。それらは、神エホバの律法で非とされている行為でした(出エジプト記20:2~6)。
神エホバは、このような独り善がりなイスラエル人を神聖とみなすことはされず、「これらは私(エホバ)の鼻の中の煙」と述べておられます。「鼻」はしばしば、怒りを指して比喩的に用いられる言葉です。「煙」も、神エホバの燃える怒りと結び付けられています(申命記29:20)。神エホバの民のイスラエル人が、陥った嫌悪すべき偶像礼拝は、神エホバの燃える怒りを引き起こしていました。
引き続きイザヤは何と記しているでしょうか。その内容は次回にお伝え致します。
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