宇和島市立歴史資料館前に宇和島市指定史跡・樺崎砲台跡が
あります。この樺崎砲台は1855年3月から12月にわたり、
宇和島の守りとして5門の砲が据えられていたそうですが、
1門の跡が残っています。
1866年にイギリス軍艦が宇和島に来航したとき、
礼砲を撃ったことがアーネスト・サトウの記録にあるそうです。
当時イギリスやフランスは力の誇示によって日本を植民地化しょう
と狙っていたようですが、宇和島藩の伊達の殿様は日本の3賢人の
1人でしたので、礼砲を撃って攻撃力のあることを示したものと
思われます。
イギリスやフランスは日本は容易に植民地化できない、
と悟った記録があるようです。当時の賢人たちは江戸幕府に
代わって天皇を中心とした新しい政府によって諸外国と貿易し、
国が富み必要な武力を備えることが国を守り植民地化を防ぐ方法と
考えていたようです。
樺崎砲台跡は宇和島藩が防衛に砲台を西洋造築法を導入したもの
の1っとして意義深いものです。
当時の大砲は残っていませんが模型が宇和島市立歴史資料館に
展示されています。
今日は宇和島市指定史跡・樺崎砲台跡の紹介とアブチロンの花を紹介致します。
1.樺崎砲台跡
(1)樺崎砲台跡を向かって前方右手から見た状態(白い砂利が敷き詰められている場所まで昭和40年代までは海だったようです)
(2)樺崎砲台跡を後面から見た状態(写真のように1門のみの跡(凹形)が残っています)
(3)当時の大砲の模型(球の径は15cm位と思われます)
(4)樺崎砲台跡の説明版
2.歴史資料館前に咲いていたアブチロン(アブチロンの花期は11月~5月です。ウキツリボクとも呼ばれています)