庭の花センナの花が一面に咲いています。
花センナの黄色の花びらは緑の葉に調和して鮮やかです。
花センナの花木は私の手持ちの花図鑑には紹介されていません。
勢いよく枝を伸ばす花木で、背丈は2mを超えています。
今日は花センナと梅花ウツギを紹介致します。
庭で満開になった「花センナ」
庭で次々に咲く「梅花ウツギ」
庭の花センナの花が一面に咲いています。
花センナの黄色の花びらは緑の葉に調和して鮮やかです。
花センナの花木は私の手持ちの花図鑑には紹介されていません。
勢いよく枝を伸ばす花木で、背丈は2mを超えています。
今日は花センナと梅花ウツギを紹介致します。
庭で満開になった「花センナ」
庭で次々に咲く「梅花ウツギ」
イエス・キリストは弟子たちに「わたしは道であり、真理であり、命です。わたしを通してでなければ、だれひとり父(エホバ)のもとに来ることはありません。あなた方がわたしを知っているなら、わたしの父おも知っていたでしょう。今この時から、あなた方は父(エホバ)を知っており、また見たのです」と教えられました(ヨハネ14:6,7)。引き続きイエスの教えは、独自の考えではなく、エホバ神と結びつき、み父エホバの教えを語り、み父エホバがご自分の業をイエスを通して行っていることを証しされた内容がヨハネの福音書に、次のように記されています。
「イエスは彼(使徒のフィリポ)に言われた、「わたしはこれほど長い間あなた方と過ごしてきたのに、フィリポ、あなたはまだわたしを知らないのですか。わたしを見た者は、父(エホバ)おも見たのです。どうしてあなたは、「わたしたちに父(エホバ)を示してください」と言うのですか。わたし(イエス)が父(エホバ)と結びついており、父がわたしと結びついておられることを、あなたは信じていないのですか。わたしがあなた方に言う事柄は、独自の考えで話しているのではありません。わたしとずっと結びついておられるわたしの父(エホバ)が、ご自分の業を行なっておられるのです。わたしは父と結びついており、父はわたしと結びついておられると言うわたしを信じなさい。そうでなければ、(イエスが行なう)業そのものゆえに信じなさい。きわめて真実にあなた方に言いますが、わたしに信仰を働かせる者は、その者もまたわたしの行っている業をするでしょう。しかも、それより大きな業をするのです。また、あなた方がわたしの名によって求めることが何であっても、わたしはそれを行ないます。父(エホバ)が子(イエス)との関連において栄光をお受けになるためです。あなた方がわたしの名によって何かを求めるなら、わたしはそれを行ないます」(ヨハネ14:9~14)。
上の聖句に記されている通り、イエスの言動・業を見た者は、父エホバ神おも見たのです、と明らかにされています。イエスの足跡が記されたマタイ、マルコ、ルカ、ヨハネの福音書を調べるなら、神エホバがどのような方であるかを見たことになるのです。イエスは、とても謙遜で従順な特質を表わしています(フィリピ2:5~11)。イエスは「独自の考えで話しているのではありません」と、明らかにし、常にみ父エホバの教えを教えてくださっていたのです。ですから、キリスト教と言うのはエホバ神の教えを表わしていることになります。イエスはみ父エホバと結ばれていることを強調されています、加えてイエスが行なっている業は、み父エホバが行なっていることも明らかにされています。さらに、イエスは弟子たちがさらに大きな業を行なうことを保証されています。その業のエホバのご意志は、神の王国の良いたよりを世界中で宣明する業です(マタイ24:14)。イエスの予告通り、現在240の国や地域でエホバの証人のクリスチャンたちによって成し遂げられています。イエスはみ父エホバ神と結びつき、道であるゆえに、イエスのみ名を通して祈願することは、イエスが行なってくださる保証もしてくださいました(ヨハネ14:6)。それは神エホバのご意志なのです。
忙しく 低空飛行 ツバメかな 今日の一句
かかりつけの医院の庭の「名称不詳の花」
白のゼラニウムの花が道辺のミニ花壇で咲いていました。
真っ赤なゼラニウムはよく見かけますが、白は珍しいと思います。
ゼラニウムはハーブの一種です。
花期は4月~11月です。
用途は鉢植え、花壇です。
花言葉は「謹慎」と紹介されています。
今日は白のゼラニウムとベロぺロネの花を紹介致します。
道辺のミニ花壇の「ゼラニウム」
道辺に咲いている「ベロぺロネ」
バプテストのヨハネが、イエスは「神(エホバ)の子」と証してから三日目に、イエスが婚宴の席で水を上等のぶどう酒に変えた、最初の奇跡の業がヨハネの福音書に、下記のように記されています(ヨハネ1:29~34)。この出来事は何を教えているのでしょうか。
「さて、三日目に、ガリラヤのカナで婚宴が催され、イエスの母はそこにいた。イエスとその弟子たちもその婚宴に招かれていた。
ぶどう酒が足りなくなった時、イエスの母が彼に言った、「彼ら(花婿や招かれた客)にぶどう酒がありません」。しかしイエスは彼女(母)に言われた、「婦人よ、わたしはあなたとどんなかかわりがあるのでしょうか。わたしの時はまだ来ていません」。彼(イエス)の母は給仕の者たちに言った、「彼(イエス)があなた方に言うことは、何でもしてください」。ところが、ユダヤ人の浄めのしきたり通り、そこには石の水がめが六つおいてあり、それはおのおの液量升二、三ばい入るものであった。イエスは彼ら(給仕たち)に言われた、「水がめに水を満たしなさい」。それで彼らはそれらを(水で)縁まで満たした。するとイエスは彼らに言われた、「では今、少しくんで、宴会の幹事のところに持って行きなさい」。それで彼らは持って行った。さて、宴会の幹事はぶどう酒に変えられた水を味わったが、その出どころを知らなかった。もっとも、その水をくんできた給仕の者たちは知っていたのである。それで、宴会の幹事は花婿を呼んで、こう言った。「ほかの人はみな、上等のぶどう酒を最初に出し、みんなの酔いがまわったところに、それより劣ったのを出すものですが、あなたは上等のぶどう酒を今まで取って置いたのですね」。イエスはこれを、自分のしるし(神エホバから与えられている力のしるし)の始めとしてガリラヤのカナで行い、こうしてご自分の栄光を明らかにされた。そして、弟子たちは彼(イエス)に信仰を持った」(ヨハネ2:1~11)。
イエスは、神の王国を証しするために遣わされ、都市から都市に、また人の集まる諸会堂で真理を証しし、すべての疾患と病気の人たちは癒すために、忙しい方でした(ルカ4:43;8:1.マタイ4:22)。それでも、イエスは時間を割いて婚宴の席に弟子たちと共に出席をされました。結婚の取決めを設けたのは神エホバですから、その婚宴の席に行き、花婿花嫁を祝うのは当然のことと見なされていたことが分かります(創世記2:24)。ですから忙しくても婚宴の席に招かれているのであれば、時間を調整して出席するのはふさわしいことであることを学ぶことができます。
イエスは、婚宴の席のぶどう酒がなくなっているいることが分かると、給仕たちに石の水がめに水を一杯に入れさせ、それを上等のぶどう酒に変える奇跡を行なわれました。イエスは花婿が恥を被ることがないように、上等のぶどう酒に変える業を行ない、深い気遣いを表わされました。私たちはイエスのように奇跡を起こす能力はありませんが、最善を尽くし、利他的な行動を取るように見倣うことができます。
イエスが水を上等のぶどう酒に変えたのは、イエスが神エホバから是認されたみ子であり、神エホバからすべての権威を与えられていることを明らかにし、ご自分の栄光をお見せになられたのです(マタイ28:18)。
心地よし 昔ながらの 夏柑湯 今日の一句
道辺に咲いている「ベロぺロネ」