イエス・キリストはぶどう園の家あるじ(エホバ神)と、耕作人(イスラエル国民を代表する主立った人たち・主教指導者たち)、奴隷たち(エホバ神の遣わされた預言者たち)、家あるじの息子(神エホバの独り子イエス)の登場する例え話しで、耕作人、つまり宗教指導者たちが、邪悪でよこしまな者たちであることを明らかにされました。宗教指導者たちは、ぶどう園の耕作人の例え話しが、自分たちを指しているとは知らず、自らを裁き「その者たち(ぶどう園の耕作人たち)は悪らつですから、惨めな滅びをもたらし、・・・」と、述べました(マタイ21:33~41)。神エホバはそのような耕作人たちに、真のメシアであるみ子イエスへの信仰という実りを納めるように期待しておられます。彼らはそのような実を生み出していないので、イエスは次のように警告しました。その内容がマタイの福音書に次のように記されています。
「イエスは彼ら(宗教指導者たち)に言われた、「あなた方は聖書(詩編118編22,23節)。の中で読んだことがないのですか。「建築者たちの退けたその石が主要な隅石となった。これはエホバから生じたのであり、わたしたちの目には驚嘆すべきものである」とあるのです。このゆえにあなた方に言いますが、神の王国はあなた方から取られ、その実(み子イエスへの信仰という実)を生み出す国民に与えられるのです。またこの石の上に落ちる人は粉々になるでしょう。これがその上に落ちる人は、みじんに砕かれるでしょう」。
さて、祭司長とパリサイ人たちは、イエスの例えを聞いた時、自分たちについて話しているのだということに気づいた。しかし、彼(イエス)を捕らえようとしながらも、群衆を恐れた。群衆は彼(イエス)を預言者と見ていたからである」(マタイ21:42~46)。
「ぶどう園」で表されたイスラエル国民の指導的な立場にあった書士や祭司長たちは、自分たちのことが、例え話で話されているのに気づき、義にかなった神エホバの「相続人」であるイエスを捕まえて殺そうとします。そのため、神の王国の支配者となる特権は、一国民としてのイスラエル人から取られ、「ぶどう園の耕作人」となる新しい霊的国民、つまりふさわしい実を生み出す霊的国民が形成されることを教えておられるのです。
宗教指導者たちは、イエスを預言者と見做していた群衆を恐れ、この時にはイエスを捕らえようとしながらも、捕らえて殺すことができませんでした。このように宗教指導者たちは、邪悪でよこしまな者たちゆえに滅びに至ることが明らかにされました。
上の聖句の「この石の上に落ちる人は粉々になる」とは、イエスへの信仰をを働かすことなく、「石」、つまり「神の王国」を退ける人たちは滅びに至ることを教えています。
木陰道 伝道者らの 笑み豊か 今日の一句
ご近所の庭に咲いている「ペチュニア」