神が宿るところ

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新治廃寺跡 附 上野原瓦窯跡

2018-08-11 23:04:38 | 史跡・文化財
新治廃寺跡 附 上野原瓦窯跡(にいはりはいじあと つけたり うえのはらかわらがまあと)。
場所:茨城県筑西市久地楽563他。国道50号線「門井」交差点から国道を北西へ約1.4km。国道沿いだが、一段高くなったところ(道路の左側(北側)に石碑が立っている。駐車場なし。なお、上野原瓦窯跡は、茨城県桜川市上野原地新田312-3。新治廃寺跡から国道を更に北東に約800m、ガソリンスタンド「東日本宇佐美50号桜川筑西インターSS」の角を右折(南東へ)、約270m。駐車場なし。
「新治廃寺跡」は、奈良時代に常陸国新治郡に建立された寺院跡。小貝川左岸(東岸)の台地西縁にあり、現・国道50号線が寺域南端となっており、国道の南側には「新治郡衙跡」(前項)がある。昭和14年から数次にわたって発掘調査が行われ、現在、東塔跡・西塔跡・金堂跡・講堂跡などの基壇が残されており、東塔跡の基壇上には塔心礎、金堂跡には礎石も見ることができる。伽藍は、中央に金堂を置き、その左右同一線上に東西の両塔、北側に講堂が配置され、中門から巡らされた回廊は講堂の後ろで結ばれている。これは「薬師寺式伽藍配置」に近いが異なるもので、「新治廃寺式」と呼ばれているとのこと。「新治廃寺跡」の東、約800mには「上野原瓦窯跡」があり、これと合わせて昭和17年に国史跡に指定された(指定面積約3.8ha)。なお、出土した瓦類は複弁蓮華文軒丸瓦やヘラ描き重弧文軒平瓦などで、下野国薬師寺系と考えられている。まだ、「新治寺」、「大寺」銘の文字瓦も見つかっており、「新治郡衙跡」とも近縁であることから、古代「新治郡」の郡家付属寺院と考えられ、おそらくは「新治国造」家から出た新治郡司の氏寺であったのではないかと考えられる(なお、「茨城廃寺跡」2018年2月3日記事参照)。


茨城県教育委員会のHPから(新治廃寺跡 附 上野原瓦窯跡)

筑西市のHPから(新治廃寺跡)


写真1:「史跡 新治廃寺跡」の石碑。国道沿いだが、段差があり、よじ登るようにしないといけない。


写真2:大きな欅(ケヤキ)の木のところに説明板がある。


写真3:同上、「史蹟 新治廃寺之址」の石碑。ここが金堂跡。


写真4:東塔址。塔心礎の石が残っている。


写真5:西塔址。


写真6:講堂址。


写真7:食堂址。


写真8:中門址。


写真9:「上野原瓦窯跡」。ほとんど消えかかった説明板があるだけ。
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