神が宿るところ

古社寺、磐座、不思議・パワースポット、古代史など極私的な興味の対象を見に行く

新治郡衙跡

2018-08-04 23:57:45 | 史跡・文化財
新治郡衙跡(にいはりぐんがあと)。
場所:茨城県筑西市古郡180他。国道50号線「門井」交差点から国道を北東に約1.6kmの信号のある交差点を右折(南東へ。「協和ふるさとの森自然公園」の案内看板が出ているところを、公園とは反対側へ)、約130m進んだところで斜め右(南へ)の狭い道路に入り、約250m。駐車場なし。
「新治郡衙跡」は、古代律令制下で設けられた新治郡の「郡家(郡衙)」(郡役所)跡で、昭和16年・同18年に発掘調査が行われ、日本で初めて「郡家」跡であると認められた(昭和43年に国の史跡に指定。指定面積約11.7ha)。建物跡は4群に分かれ、東部群13棟、西部群9棟、北部群25棟、南部群4棟の合計51棟が検出されている。現状は埋め戻されて畑地になっているが、建物跡は方形の地業(ちぎょう)があり、周縁を小石等で突き固めた基礎工事がなされていた。また、一部には礎石も残っていたという。西部の建物群は配置状況により正殿・脇殿からなる政庁部分と推定され、東部・南部・北部・の建物群は倉庫とされているが、特に東部の建物群は「不動倉」(備蓄のため封印された倉庫)であったと推定されている。というのは、東部の建物群の跡からは、炭化した木材や焼籾が発見されており、これが「日本後記」の弘仁8年(817年)記事に「常陸国新治郡(家)の不動倉13宇(棟)が焼失した」との記述に合致する、とのこと。


茨城県教育委員会のHPから(新治郡衙跡)

筑西市のHPから(新治郡衙跡)


写真1:中央が(写真では暗くて読めないが)「史跡 新治郡衙跡」の石碑。


写真2:向かって右側の石碑には側面に「史蹟 新治郡家及不動倉址 茨城縣指定」と刻されている。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする