塩湯彦神社(しおゆひこじんじゃ)。
場所:秋田県横手市山内大松川字御嶽山3(「御嶽山」(標高744m)山頂)。秋田県道272号線(御所野安田線、旧・羽州街道)沿い「横手高校」前から、東に約6.8kmのところにある「追分の一本杉」付近から登山道(途中から未舗装林道)で30~40分。または、更に約600m進むと未舗装林道の入口があり(ここに駐車場あり。)、お勧めはしないが当神社の石段下まで自動車で行ける。あるいは、北側の秋田県道12号線の「黒森峠」付近から、登山道で「黒森山」~「御嶽山」というルートもある(約1時間)。
社伝によれば、白鳳元年(672年)に役小角(役行者)が鳴見沢に「熊野神社」(現・横手市明永町)を開創した際、「湯ノ峯」(「御嶽山」)の白滝を熊野の那智山になぞらえ祀ったという。後に、一遍上人が再興したとされるが、再び荒廃し、中世には祭祀が途絶え、所在すら不明となっていた。江戸時代に佐竹氏が秋田に入部し、式内社の再興を行わせた結果、正徳5年(1715年)、「御嶽山」山頂に社殿が建立され、秋田の「三国社」の1つとして崇敬された。明治に入ると社領を返上して郷社となったが、昭和38年には風雪により社殿が倒壊し、石祠を祀るのみとなった。昭和57年、有志の努力により、ようやく現在の社殿が再建されたという。
開創伝承にあるように、熊野修験の影響が強く、現在の祭神は速玉尊と大山祇命となっている。本来は塩分を含んだ温泉を祀った自然神であったと思われるが、社名が「塩湯彦神社」となっているので、祭神も「塩湯彦命」あるいは「塩湯彦大神」とするのが自然のように思われる。因みに、秋田県内には「御嶽神社」または「三嶽神社」(いずれも「みたけじんじゃ」)が多数あるが、大仙市南外の「御嶽神社」の祭神は塩湯彦命、大仙市豊岡の「三嶽神社」の祭神は塩冶彦命(エンヤヒコ)、仙北市西木町の「三嶽神社」の祭神は塩土老翁命(シオツチオヂ)とされている。
玄松子さんのHPから(塩湯彦神社 奥宮)
写真1:「塩湯彦神社」参道の石段。美しいブナ林の中を上る。
写真2:石段前にある手水舎。湧水が引かれている。
写真3:社殿
写真4:「黒森山」側から見た「御嶽山」。この写真では小さいので確認できないが、当神社の屋根が見えていた。
写真5:6月に訪れたときには、まだ雪囲いがされていた。
場所:秋田県横手市山内大松川字御嶽山3(「御嶽山」(標高744m)山頂)。秋田県道272号線(御所野安田線、旧・羽州街道)沿い「横手高校」前から、東に約6.8kmのところにある「追分の一本杉」付近から登山道(途中から未舗装林道)で30~40分。または、更に約600m進むと未舗装林道の入口があり(ここに駐車場あり。)、お勧めはしないが当神社の石段下まで自動車で行ける。あるいは、北側の秋田県道12号線の「黒森峠」付近から、登山道で「黒森山」~「御嶽山」というルートもある(約1時間)。
社伝によれば、白鳳元年(672年)に役小角(役行者)が鳴見沢に「熊野神社」(現・横手市明永町)を開創した際、「湯ノ峯」(「御嶽山」)の白滝を熊野の那智山になぞらえ祀ったという。後に、一遍上人が再興したとされるが、再び荒廃し、中世には祭祀が途絶え、所在すら不明となっていた。江戸時代に佐竹氏が秋田に入部し、式内社の再興を行わせた結果、正徳5年(1715年)、「御嶽山」山頂に社殿が建立され、秋田の「三国社」の1つとして崇敬された。明治に入ると社領を返上して郷社となったが、昭和38年には風雪により社殿が倒壊し、石祠を祀るのみとなった。昭和57年、有志の努力により、ようやく現在の社殿が再建されたという。
開創伝承にあるように、熊野修験の影響が強く、現在の祭神は速玉尊と大山祇命となっている。本来は塩分を含んだ温泉を祀った自然神であったと思われるが、社名が「塩湯彦神社」となっているので、祭神も「塩湯彦命」あるいは「塩湯彦大神」とするのが自然のように思われる。因みに、秋田県内には「御嶽神社」または「三嶽神社」(いずれも「みたけじんじゃ」)が多数あるが、大仙市南外の「御嶽神社」の祭神は塩湯彦命、大仙市豊岡の「三嶽神社」の祭神は塩冶彦命(エンヤヒコ)、仙北市西木町の「三嶽神社」の祭神は塩土老翁命(シオツチオヂ)とされている。
玄松子さんのHPから(塩湯彦神社 奥宮)
写真1:「塩湯彦神社」参道の石段。美しいブナ林の中を上る。
写真2:石段前にある手水舎。湧水が引かれている。
写真3:社殿
写真4:「黒森山」側から見た「御嶽山」。この写真では小さいので確認できないが、当神社の屋根が見えていた。
写真5:6月に訪れたときには、まだ雪囲いがされていた。