備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム118.中世以降の山陽道(その1・三石~福岡)

2009-01-10 20:26:46 | Weblog
11世紀以降、「駅路」という古代官道の制度は崩壊したとされる。あまりに維持コストが高かった上に、民衆の生活の利便と離れていたかららしい。中世以降は、武家政権の成立とともに、「官道」とは言えないものの、政権の権威を基に街道の整備が進められた。
備前国内の山陽道も、東西の国境付近は古代と殆ど変わらないものの、途中は大きく変化している。播磨国から国境の船坂峠を越えて、そのまま備前市三石から南西に直進し、片上~伊部~香登と進む。現在の国道2号線と同じルートだが、現在道は谷の中央を通ることが多いが、旧道は山裾を伝うようになっており、「宿」と「宿」を結ぶため、住宅が立ち並んだ狭い道路がそれであることが多い。
備前市香登本にある古社「大内神社」の境内には「香登一里塚跡」がある(写真上)。この先は瀬戸内市長船町長船に至り、「吉井の渡し」(又は「一日市の渡し」)で吉井川を船で渡った。ここから岡山市浅川辺りまで、中世には(名目上の)備前国府が置かれた「福岡」地区であり、「福岡千軒」といわれた山陽道随一の商業地であった。周辺に古社も多い。「大内神社」のほか、「熊山神社」(赤磐市奥吉原)、「湯次神社」(瀬戸内市長船町磯上)、「靭負神社」(同長船町長船)、「柴狹神社」(岡山市東区瀬戸町大内)、「石津神社」(同吉井)、「福岡神社」(同西祖・浅川)などがある。
福岡は、一時期は、間違いなく備前国の中心地であった。しかし、宇喜田直家が福岡から多数の商人を岡山城下に移住させたことや吉井川の氾濫もあって、次第に衰退したという。


写真上:香登一里塚跡。大内神社境内の南西隅にある。


写真中:一日市一里塚跡。国道2号線の脇、県道221号線(一日市瀬戸線)との分岐点にある。


写真下:福岡城跡?。河川敷にあるゴルフ場のコース内にある。一日市一里塚跡のちょうど対岸にある。

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