備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム117.古代山陽道を探す(その21・備前播磨国境)

2009-01-04 22:31:31 | Weblog
備前国と播磨国を結ぶ主要ルートは、古代から「船坂峠」を越える道路であって、標高180mの「船坂峠」は山陽道の難所の1つであった。現・備前市三石に比定される「坂長駅家」という名も、「船坂峠」の長い坂に由来するとされる。
近世山陽道の名残として、JR「三石」駅前に「三石一里塚」跡(2008年12月31日記事の写真)があるが、「三石町史」によれば「播州国境から21町20間」(約2.3km)の距離にあったという。そこから旧道の坂道を緩やかに上って行くと、国道2号線に合流する。そして、その先、現在の国道はトンネルで峠を越えるが、旧山陽道は凡そ、そのトンネルの上を通っている。船坂トンネルの手前約400mのところに「歩行者・自転車道」の入り口があり、その狭い道を上って行くと、峠に「県界標石」がある(写真上)。これは大正15年(1926年)に建立されたもの。その切り通しの崖の上、約10mのところに備前播磨国境石がある(写真下)。こちらは、元禄16年(1703年)の建立という(「撮要録」による。)。国境石が旧国道の上に立っているのは、人力車や馬車が普及した明治16年(1883年)に一度掘り下げられ、明治28年(1895年)に更に掘り下げられて現在の位置と道幅になったからだそうである。
古代山陽道も、この辺りを通っていただろうと思われるが、その痕跡は見出しがたい。


写真上:県界標石。かつての国道2号線上にある。現在は歩行者・自転車専用道になっているが、交通標識が今も残っている。兵庫県側に見える警戒標識の急勾配は9%となっている。


写真下:備前播磨国境石。備前備中国境石と同時に立てられたもののようで、石の材質や文字の書体等が同じ。



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