備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム114.古代山陽道を探す(その18・和気)

2008-12-29 21:38:59 | Weblog
延喜式にいう「珂磨駅家」は赤磐市松木付近であり、「坂長駅家」は備前市三石付近であるということが通説で、この2ヵ所を結ぶルートが古代山陽道であるということには、ほとんど異論がない。ただし、具体的に、どの道がそうなのかはよくわからない。
赤磐市松木からは、スタートは「松木」交差点ではなく、「伝和気清麻呂公墓所」前の狭い道を東に進むと、県道96号線(岡山赤穂線)に合流する。この道路がかなり直線的。和気町原で「石根依立神社」と「岩生山元恩寺」の前を通ると、ほどなく「東の大川」といわれた吉井川に出る。現在は「和気橋」が架かっているが、かつては舟渡しであった。江戸時代には船番所があり、その跡地の石碑には、享保20年(1735年)から明治維新(1868年)まで存在したと記されている(写真上)。古代の渡しの場所は不明だが、さほど変わりはなかったのではないかと思われる。
さて、和気町には、和気清麻呂によって延暦7年(788年)に「珂磨駅家」に移転されるまで「藤野駅家」があった。その具体的な場所はわかっていないが、和気町藤野に「大政(だいまん)」という小字地名があり、和気氏の政庁跡とされている。遺構等は発見されていないが、「和気清麻呂公碑」が建てられている(写真中)。また、近くに「藤野廃寺」もあり、和気氏の氏寺であったようだ(現在は跡地に日蓮宗の「福昌山実成寺」がある。写真下)。したがって、これらの史跡の付近を古代山陽道が通っていたと思われるが、現在道の県道96号線(岡山赤穂線)は、JR「吉永」駅付近まで金剛川に沿ってかなり蛇行している。
ところで、和気町役場の所在地の地名は「尺所(しゃくそ)」という。古代には、駅が置かれたところとして駅所村と称していたが、中世に尺所村に改めたという。金剛川対岸の「大田原」(古社「由加神社」がある。)はもともと尺所村の一部であり、地続きであったが、天正年間(1573~1593年)に洪水があって金剛川の流れが変わり、尺所と大田原の間を流れるようになったとされる。和気町の吉井川左岸(東岸)で直線的な道路が発見しにくいのは、そのせいかとも思われる。


写真上:和気船番所跡の碑。国道374号線沿い、和気橋の北約200mのところにある。


写真中:和気清麻呂公碑(和気氏政庁跡?)。


写真下:藤野廃寺。現・福昌山実成寺。境内の向かって右の銀杏の木のところに、「和気氏経塚」がある。これは「卿塚」で、和気清麻呂の墓所とする説もある。

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