備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム35.照光山安養寺

2008-08-23 22:33:44 | Weblog
照光山安養寺(しょうこうさん あんようじ)。天台宗の寺院で、本尊は阿弥陀如来。報恩大師開基の備前48ヶ寺の1つであるが、その後200余年を経て(康保年間)、雷火により焼失し、行基作の本尊も失った。勅命により、播磨国書写山の開基性空上人の弟である信源上人が再建した(再建にあたって、山上にあった伽藍を現在地に下ろしたという。)。このとき、比叡山の恵心僧都が自作の阿弥陀如来像と伝教大師作の薬師如来像を寄進した。以来、天台宗山門派の法に従う。最盛時には50坊を数えたというが、旧山陽道に面した大寺であったことから、たびたび戦火に巻き込まれ、現在では「延寿院」(えんじゅいん)が残っているのみとなり、単に「安養寺」と称するようになったようである。なお、現在の本堂は元の常行堂である。(以上、「和気郡史」ほかによる。)
場所:和気町泉609。県道96号線(岡山赤穂線)沿いで、由加神社(和気町)の北東約300m。山の鼻で隔てられているが、互いに境内が広いので、隣り合っているといってよい。
「泉」という地名は明治以降のもので、かつては安養寺の寺領だけで「安養寺村」としており、領主の権力を介入させない村としていたという。
掲載した写真では分からないが、背後には「竜王山」の尖った山の威容が見える。元は山上伽藍であったというのが事実かどうかわからないが、そうであれば、寺院と言うより、山の行場であったように思われる。
なお、当寺の奥(北)に「宗堂池」という大きな池がある。「宗堂」というのは「総堂」であり、郡の総社の社僧がいた場所であったという(例えば、岡山市東区瀬戸町にも「宗堂」という地名がある。)。かつては、この安養寺がそうであったかもしれない。
そういえば、次のような話もある。「方の上山」(現「神ノ上山」。当寺の真北にある。)山上に「方の山八幡宮」があった。これは、天平勝宝8年(756年)に報恩大師が勧請したものである。しかし、高山の山上のため風雨により再三社殿が転覆した。そこで、延暦9年(790年)に国司であった和気清麻呂が由加神社に合祭し、以来「由加八幡宮」と称するようになった、という。登場人物や時代には信を置きがたいが、由加神社・安養寺ともに、和気氏以来、この土地の支配者との関係が深かったことがうかがわれる。

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