備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム171.最上稲荷(妙教寺・その2)

2009-05-14 23:16:11 | Weblog
なぜ、稲荷=狐となったか。要点を簡単に書けば、次のとおり。神道の稲荷神は「宇迦之御魂神(倉稲魂尊)」で、穀物・食物の神。別名を「御饌津神(ミケツカミ)」といい、これが狐の古名「ケツ」と混同されて、狐は稲荷神の眷属・神使とされるようになった。一方、インドの魔神「ダキニ」は仏教に取り入れられて護法神「荼枳尼天」となった。ダキニはもともとジャッカルに跨るとされていたが、中国や日本にはジャッカルがいないので、「荼枳尼天」は狐に跨るとされた。日本で密教が隆盛するにつれ、ダキニ由来の魔力が重用され、神仏習合の中で稲荷神の本地仏とされて、荼枳尼天の性格を帯びた稲荷神が各地に勧請されることになった。
ところで、「最上稲荷」は「宇迦之御魂神」でも「荼枳尼天」でもなく、「最上位経王大菩薩」が本尊である。寺伝によれば、天平勝宝4年(752年)、報恩大師が八畳岩(写真中)で白狐に乗った「最上位経王大菩薩」を感得し、孝謙天皇の病気が快癒したので、「龍王山神宮寺」が創建されたという。ここでも、「狐に乗っている」仏ということで、稲荷神と習合したようだ。妙法蓮華経(法華経)は、日蓮宗だけの専売特許ではなく、真言宗や天台宗でも重要視している経典である。「備前48ヵ寺」創建伝説で有名な報恩大師は観音呪を得意としたようなので、法華経のうちの所謂「観音経」を重用したのかもしれないが、それでも法華経を「最上位」とするのは日蓮宗的な発想だろう。したがって、報恩大師開基、というのは(「備前48ヵ寺」と同様、)伝説に過ぎないだろうが、「八畳岩」のような磐座があることは、古代からの神聖な場所であったことを示すものだろう。加えて、神道の稲荷神は、秦氏の氏神でもある。「最上位経王大菩薩」が白狐に乗って現れた、ということは、秦氏の信仰が素地にあったということが十分に想定される。

伏見稲荷大社のHP:http://inari.jp/
沿革などが詳しく紹介され、稲荷神と秦氏との関係も良くわかる。

豊川稲荷のHP:http://toyokawainari.jp/


「妙教寺」の旧本殿(霊応殿)の脇から山道を登って行くのだが、参拝客も岩には余り興味がないようで、ほとんど人とすれ違わない。特に、八畳岩より先は、鳥居も壊れているものが多く、残念。


写真上:巨大な題目石


写真中:妙教寺の「八畳岩」


写真下:開祖報恩大師の供養塔。妙教寺の中では最も奥にある。背後の題目石の台石も、磐座と言われても納得できそう。


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