備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム190.旧県社(その3・春日神社(岡山市北区))

2009-06-29 22:32:28 | Weblog
春日神社(かすがじんじゃ)。
場所:岡山市北区七日市西町4-13。国道2号線「岡南小学校」交差点から東に約500m。駐車場あり。ただし、神社付近の道路は狭いので、注意。
社伝によれば、創建は寛和年間(985~987年)。その名のとおり、大和国「春日大社」の分社で、「春日大社」の神鹿がその神額を銜えてこの地に運んできた、そのために地名を「額ヶ瀬」という、との伝説もある。
延喜式成立(927年)よりも後の創建だから、式内社ではないことは当然で、国内神名帳にも載っていないことも分かる。神鹿のことはともかく、10世紀後半の創建ということはあり得る。というのは、太古、岡山平野は「吉備の穴海」といわれて、ほとんどが海だったとされるが、少なくとも平安時代初期には既に、現在の岡山大学医学部の辺りを中心に沖積平野(中洲?)があったらしい。これが今も地名に残る「鹿田庄」という藤原氏の荘園になった。藤原氏の氏神として春日神社が勧請されたのは当然のことだろう。当神社が鎮座する七日市西町というのは、先に出来た二日市に加えて、七日にも市が立つというのに因んで名づけられたという。いずれも旭川河畔で、あるいは海岸だったかもしれない。もともと「鹿田」というのも干潟(ひがた)がなまったもの、あるいは「かた」と読んでもとは潟(かた)だった、ともいわれる。その岸で「額ヶ瀬」という名がついたともいえるので、相応の古社であることは間違いない。
そして、佐々木盛綱の伝説(2009年5月26日記事参照)を経て、宇喜多直家が岡山城築城のときに南方の鎮守とした、ということで隆盛をみたようだ。ちなみに、式内社「石門別神社」(奥田本町)とは、ほぼ同緯度にある(当神社の真西、約700m)。


春日神社(岡山市北区)のHP:http://www17.ocn.ne.jp/~kasuga17/index.html

岡山県神社庁のHP:http://www.okayama-jinjacho.or.jp/cgi-bin/jsearch.cgi?mode=detail&jcode=01057

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