備前の古社を訪ねる(備前国内神名帳の研究)

備前の由緒ある神社を巡礼する

コラム111.古代山陽道を探す(その15・上道郡ルートⅠ)

2008-12-24 21:36:42 | Weblog
「延喜式」に現在の赤磐市馬屋付近に比定される「高月駅家」(「備前国府の所在地(その1)」2008年10月27日記事参照)が記されているため、古代山陽道は現在の赤磐市松木または可真から日古木峠を越えて馬屋に至る(赤坂郡ルート)、というのが通説となっている。しかし、原初山陽道は現在の岡山市東区瀬戸町を横断し、才ノ嵶を越えて岡山市中区土田に至るルート(上道郡ルート)だったのではないか、という説もある(北海道教育大学教育学部釧路校准教授・中村太一氏「備前国における古代山陽道駅路の再検討」)。この説に従って、ルートを辿ってみる。
中村説によれば、備前国府はもともと上道郡(現・岡山市「高島」地区内)にあった(その後、9世紀に三野郡に移転。)。その場所は賞田の東端辺りで、旭川西岸では三野からダイミ山の峠を越えると想定するので、そこに連絡するように、原初山陽道は「国長宮」前の道ではなく、もっと北で、龍ノ口山山麓に近いところを通る。「大神神社」の(鳥居前ではなく)現社殿の前を通って、土田に出る。そこは県道81号線(東岡山御津線)と県道96号線(岡山赤穂線)交差点辺りか(写真上)。交差点が少しずれているが、岡山東養護学校の北側には「居都廃寺」があった。「土田北」の交差点から緩やかな坂を上って行くと、東区瀬戸町宿奥を経て、瀬戸町観音寺に出る。
「居都廃寺」は、牟佐~土田の道路沿いとも言えるので、必ずしも「上道郡ルート」を有利としないが、瀬戸町観音寺に出た先にある「大廻小廻山城跡」の存在は大きなポイントの1つである。まだ調査が十分ではないが、朝鮮式山城といわれ、築城時期は7世紀後半と思われる。古代官道が軍事的意味を持つならば、備中国の「鬼ノ城」と同じく、古代山陽道のために築かれたものかもしれない。
ところで、「土田」という地名は「ハタ」とも読める。「大神神社」の境内末社に「松尾御崎神社」があり、この地の地主神であるという。どちらも渡来人「秦氏」の存在を連想させる。

岡山市のHPから(居都廃寺):http://www.city.okayama.okayama.jp/museum/kodai-jiin/07.html

同(大廻小廻山城跡):http://www.city.okayama.okayama.jp/kyouiku/bunkazai/oomeguri/0-gaiyo.htm


写真上:信号のところが「土田北」交差点。県道96号線は、ここを右折(東へ)し、「瀬戸」方面に向かう。「美作」方面に行くと、牟佐に至る。


写真下:「大廻小廻山城跡(一の木戸)」(水門跡)

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