出雲大社(いずもおおやしろ)。
島根県出雲市大社町杵築東195。岡山からは、岡山道・米子道・安来道・山陰道と高速道路を乗り継いで「斐川」ICから西、約20km(国道431号線沿い)。広い駐車場があるが、休日にはほとんど一杯になる。
今では「○○大社」を名乗る神社は数多いが、単に「神宮」といえば「伊勢神宮」を指すのと同様に、かつて「大社」といえば「出雲大社」(もとは「杵築大社」といった。)のことを指した。なにしろ、大国主神が「国譲り」の条件として建てさせた宮だというのである(「古事記」)。現在の本殿の高さが24mで、これでも相当高いが、中古には48m、上古には96mあったといわれている。平安時代の数え唄に「雲太、和二、京三」というのがあり、(大和国)東大寺大仏殿や平安京大極殿より高かったということらしい。
上記の伝承からすれば、主祭神が大国主神で当然のようだが、17世紀までは素戔嗚尊であったという。神話によれば、オオクニヌシは、スサノオの6世の子孫で、娘婿でもある。近親婚?はともかく、いくら神様でも、6代も離れた子孫が義理の息子でもあるというのは、無理がありそうに思われる。背景には、スサノオやオオクニヌシの神としての成り立ちや、古代における出雲・吉備・大和の和合と抗争など、面白いテーマがありそうだが、大きすぎるテーマでもあるので、ここではこれ以上触れられない。
ただ、古代氏族のうち、三輪氏・加茂氏は大物主(=大国主)を祖とするから、出雲神族だったのだろうとされている。それぞれの神社の成り立ちは色々だろうと思われるが、備前国内神名帳所載の古社には「大神神社」・「美和神社」・「神神社」、あるいは「鴨神社」・「鴨○○神社」という名の神社が多い。こうしたところに吉備に対する出雲の影響が感じられる。
出雲大社のHP:http://www.izumooyashiro.or.jp/
「出雲大社 神々の国のプロローグ」のHP:http://www.highlight.jp/izumooyashiro/
写真上:「出雲大社」の「日本一の大鳥居」。大きさでは日本一ではなくなってしまったが、確かに近くで見ると巨大(高さ23m)。もっとも、岡山の人は最上稲荷の大鳥居(高さ27m)を知っているから、あまり驚かないかも。
写真下:本殿は「平成の大遷宮」の修造工事中。完成は平成25年の予定。
島根県出雲市大社町杵築東195。岡山からは、岡山道・米子道・安来道・山陰道と高速道路を乗り継いで「斐川」ICから西、約20km(国道431号線沿い)。広い駐車場があるが、休日にはほとんど一杯になる。
今では「○○大社」を名乗る神社は数多いが、単に「神宮」といえば「伊勢神宮」を指すのと同様に、かつて「大社」といえば「出雲大社」(もとは「杵築大社」といった。)のことを指した。なにしろ、大国主神が「国譲り」の条件として建てさせた宮だというのである(「古事記」)。現在の本殿の高さが24mで、これでも相当高いが、中古には48m、上古には96mあったといわれている。平安時代の数え唄に「雲太、和二、京三」というのがあり、(大和国)東大寺大仏殿や平安京大極殿より高かったということらしい。
上記の伝承からすれば、主祭神が大国主神で当然のようだが、17世紀までは素戔嗚尊であったという。神話によれば、オオクニヌシは、スサノオの6世の子孫で、娘婿でもある。近親婚?はともかく、いくら神様でも、6代も離れた子孫が義理の息子でもあるというのは、無理がありそうに思われる。背景には、スサノオやオオクニヌシの神としての成り立ちや、古代における出雲・吉備・大和の和合と抗争など、面白いテーマがありそうだが、大きすぎるテーマでもあるので、ここではこれ以上触れられない。
ただ、古代氏族のうち、三輪氏・加茂氏は大物主(=大国主)を祖とするから、出雲神族だったのだろうとされている。それぞれの神社の成り立ちは色々だろうと思われるが、備前国内神名帳所載の古社には「大神神社」・「美和神社」・「神神社」、あるいは「鴨神社」・「鴨○○神社」という名の神社が多い。こうしたところに吉備に対する出雲の影響が感じられる。
出雲大社のHP:http://www.izumooyashiro.or.jp/
「出雲大社 神々の国のプロローグ」のHP:http://www.highlight.jp/izumooyashiro/
写真上:「出雲大社」の「日本一の大鳥居」。大きさでは日本一ではなくなってしまったが、確かに近くで見ると巨大(高さ23m)。もっとも、岡山の人は最上稲荷の大鳥居(高さ27m)を知っているから、あまり驚かないかも。
写真下:本殿は「平成の大遷宮」の修造工事中。完成は平成25年の予定。