シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

マウントを取りたがる元先輩

2023年05月18日 | 分からな~い人生
「ウガーッ! アタシは恐いんだぞう」「そ、そうかぁ … オッカナイ子犬だもんね」 右は相模川に沿って走る相模線。
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先月は大学時代の友人の葬儀がありました。 先週は母の七回忌があったと思ったら、今週は元会社の先輩の葬儀です。  最初の米国出張で私を連れていってくれた人で、現地では当人はメガネをかけ カメラを持ち「From Tokyo?」と一発で当てられました。 古希を超えると知人の葬儀が増えてきます。
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横浜市内 二俣川の葬儀場で日曜夜が通夜、翌月曜昼前が告別式です。 私は告別式に行きました。 通夜は夜の公共交通の便が少なくなるし、車だと初めての道はよく分からないうえに 方向感が悪くなる夜は特にまごつくからです。

それで 行きはネットの路線情報に従って、新横浜駅で JR 線から相鉄線に乗り換えました。 一旦新横浜駅を出て少し歩き、地下4階にあるホームに向かいました。 3月から東急線と乗り入れしているそうで、それまでは横浜駅で相鉄線に乗り換えるしかなかったそうで便利になりました。

二俣川駅・北口で葬儀場のシャトルバスが15分おきに来ると、元会社のの知人から事前メールで案内がありましたが、北口付近も広く バスターミナルへ行くと青い色のシャトルバスが停まっているので近づいたら、がんセンター行きでした。

これではどこに来るのか分からず、停まっていた市営バスの運転手さんに訊いたところ、「知らない。 ここには葬儀場行きの車は止まらないから、ここで待っていても絶対に来ない。 電話で葬儀場に訊いた方がいい」と有難い助言をいただきました。

即 葬儀場に問い合わせると「餃子の王将という店の近くに止まる」との情報で大通りの道を数十メートル歩いたら、ありました __ “王将の看板“ が。 近づくと隣に葬儀場の看板も出ていますが 初めての人はそこまで来ないと気が付かないと思いました。

そこで待つと1~2分で白いマイクロバスがやってきました。 名前が何もないので、運転手さんに訊いたらドンピシャ。 貸切で乗って10分ほどで到着しました。 運転手さんには、“二俣川駅・北口“ だけでは分かり難いから、改善して欲しいと注文しました。
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30分以上前に着いたので まだ殆ど会葬者が集まっていません。 ご家族 (?) らしい若い人に「通夜の会葬者は多かったのですか?」と話しかけたら、「いや 私は初めてきたので、昨日は来ていません」「そうですか … 私は20代の頃 古田さん (仮名) と一緒にお仕事して、その後 古田さんは転職され、一時E社ジャパンの社長をされていたとまでは知っているんですが、その後はどうされていたんでしょうか?」

「息子さんとXXエレクという会社を起こされてました。 私はそこの社員です」「ああそうなんですか、こういう所に来ると知らない人ばかりですから。 最近の葬儀は家族葬が多くなって、その後にお別れ会をするという流れが多いですよね」「そうですね 特にコロナになってから変わったようです」

「6~7年前に古田さんにお会いした時、以前より背も低くなって体が縮んでいるので訊いたら『糖尿で医者から痩せろといわれてるんだよっ』と少し怒った返事が来ました」というと 笑っていました (サもありなんという風でしたね) __ など取り止めもない話しをしていました。
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その後 葬儀で曹洞宗導師の読経が終わり 出棺の準備で待つ間、頭髪が薄く ごま塩のご老人が話しかけてきて、やっと同じ会社の元先輩で一回り年齢差の高坂さん (仮名) だと気付きました。 みんなマスクをしてるのでよく分からなかったのです。

近況をお聞きすると 高坂さんは「妻が認知症になって家事は私がやってますよ」というので、「ええ 前にもそうお聞きしました」「え? いついった?」「以前の太田さん (仮名) の葬儀で。 施設入所とかは考えてないのですか?」「そうか … 毎日 妻をデイサービスに送り出して家事をしてますよ。 施設では何をされるか解らないからね。 施設の人が知らない事が多いので逆に私が教えているくらいだよ」と、同じ話しをあちこちでされている様子でした。

また会話中、「え?」「え?」と何度もいうので耳がやや遠くなっているようでした。
 お訊きすると、10万の補聴器を買ったが 使えないので装着していないといってました。 大概 高価な補聴器を買ったはいいが、よく聞こえないといって死蔵しているケースが多いようです (義理の母がそうです)。

古田さんの息子さんらしい人が挨拶に来られたので、「昔 20代の頃 お世話になりました。 ある日 『3歳の娘が生まれたばかりの赤ん坊の頭を踏んづけてなぁ 医者に連れてくので早く帰る』というので、翌日『大丈夫でした?』と訊くと『うん 大丈夫だった』といっていた事がありますよ」と私がいうと。「あ、それ 私です」と返事していました。 踏んづけられた記憶ではなく、後から古田さんが何度も話したのでしょう。
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出棺後の12時半過ぎ 乗った帰りのシャトルバスが二俣川駅に着くと 一緒に降りた高坂さんは「食事でも一緒に取ろうか?」といってきたのですが、私がモゴモゴと色良い返事をしなかったので、「それじゃ ここで別れよう。 元気で」「はい 次にも元気でお会いしましょう」と握手して別れました。

なぜこの元先輩のお誘いに乗らなかったかというと、どうも自慢話しや訓タレ話しばかりを聞かされそうで、美味しい食事にはならないだろうと想像したからです。 食事代は (経済的には全く困ってないと想像する) 先輩が払うのでしょうが、砕けた会話ができない雰囲気では 美味しくいただけないと思うのです (そんなタダ飯を食べる気も起きません)。

高坂さんは昔 部長職をされてました。 部下と話す時もそうでしたが __ 転職されて別会社に行った後、私の上司とはゴルフ付き合いが続いていたらしく、上司へゴルフ予定表をわざわざ持参したところ 上司不在で私が呼び出されて代わりに受け取りに行くと、椅子で “ソックリかえって“ ました (背筋が垂直から前屈みの卑屈スタイルも変ですが)。

また 所属していた会社がたまたま私が別の仕事で通りかかった道沿いにあったので、立ち寄って ご挨拶したところ、「君とは半年後 一緒に仕事しているかも知れないなぁ」などと謎かけをされたりして、よく解りませんでしたね (人手集めに苦労していた?)。

要するに 別会社同士、引退者同士となっても いつまでも先輩風を吹かしてマウントを取りたがる人ですから、元部下に対する昔の部長癖が抜けないのです。 もう今は 一回り年齢差があるとはいえ 対等な人間関係のはずなんですが __ 帰りは相鉄線で 逆方向の海老名駅まで行き、そこで JR 相模線に乗り換えました。 意外と綺麗な電車でした。

今日はここまでです。

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