
左から カラヤン VPO との65年ライヴ、BPO との66年録音、VPO との82年ライヴ。
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ハイドンのオラトリオ『天地創造』は、今回初めて『カラヤン大全集』で聴きました。 最初 聴く前は面白そうな印象は抱いていなかったのですが、意外と聴きやすいメロディでした。
でも一気に聴き通すのは無理で、第1部の 38分を聴いて 数日おいて2部と3部 (計 67分) を聴きました。 65年ライヴは、発売された記憶がなかったので、裏ジャケを見ると2004年に制作されています。 なぜ40年後にわざわざ発売したのか不明です。 翌66年の録音途中でヴンダーリッヒが急逝し、テノールが途中から別人になったため ヴンダーリッヒが通して歌ったものを出したいという動きがあったのでしょうか?
65年ライヴの独唱者がヤノヴィッツ (S)、ヴンダーリッヒ (T)、プライ (Br)、ボルク (B)。
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HMV から __ カラヤン、幻の『天地創造』ライヴ、ここに復活!
死を直前にしたヴンダーリヒ、最晩年の名唱!
1965年のザルツブルク音楽祭におけるライヴ録音。 正規盤としては初のリリースになります。 この演奏の成功に気をよくしたカラヤンは翌年、ベルリンでヴンダーリヒを起用した『天地創造』のスタジオ録音を行いますが、途中で彼の急逝のためにやむなくヴェルナー・クレンを代役に立てて録音を完成させたという曰く付きの演奏です。
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BPO との66年録音は、ヤノヴィッツ (S)、ヴンダーリッヒ (T)・クレン (T)、ディースカウ (Br)・ベリー (B)。 テノールを2人で分担しているのは、録音途中でヴンダーリッヒが急逝したため。
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『ヴンダーリヒ、プライ、カラヤンの天地創造 http://ahirunooto.sblo.jp/article/114670055.html』(2015年3月5日 青い空のように ~ 日々の出来事と音楽と) __ ※追加1へ
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VPO との82年ライヴ録音は、マティス (S)、マレー (A)、アライサ (T)、ダム (B) で、合唱は全てウィーン学友協会合唱団です。
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Universal Music Japan から __ 1966~69年のベルリン・フィルとの旧録音も名演の誉れ高い名盤でしたが、マティス、アライサ、ヴァン・ダムという当時最高の独唱陣を従えた、ウィーン・フィルとの1982年ザルツブルク音楽祭ライヴ録音となった当盤もカラヤンの円熟の至芸を伝える素晴らしい録音です。
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65年ライヴですが、前日まで VPO と『ボリス・ゴドゥノフ』を演奏していますから、VPO もカラヤンもタフですねぇ。 準備は名前の出ない副指揮者が積み上げているんでしょう。
オラトリオってのは、キリスト教徒ではない日本人には近寄りがたいイメージです。 何といっても「神様 万歳!」が幾度となく出てくるんでしょうからね。 お経に近いものでしょう。
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ウィキペディアから __ 『天地創造』(Die Schöpfung) は、フランツ・ヨーゼフ・ハイドンが作曲したオラトリオ。『四季』とともにハイドンの最も有名なオラトリオのひとつである。
「旧約聖書」の「創世記」第1章とミルトンの「失楽園」を元にして書かれた英語の台本のゴットフリート・ヴァン・スヴィーテン男爵 (Gottfried van Swieten) によるドイツ語訳に作曲された。
1799年 ケルントナートーア劇場で行なわれた初演は大成功を収め、現在でもウィーンでは新年の初めの演奏会に恒例として演奏される。
全体は3つの部分に分けられ、第1部 (35分) で天地創造の第1日から第4日までが、第2部 (35分) では第5日、第6日が語られ、第3部 (30分) では第2部で創造された人間の男女、アダムとエヴァの姿が語られる。
ソプラノ独唱:ガブリエルとエヴァ、テノール独唱:ウリエル、バス独唱:ラファエルとアダム 、混声四部合唱の構成。
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私は、この「天地創造」について あまりああだこうだとコメントを書くことは出来ません。 なにせ 初めての試聴ですから。 御大が録音し、『大全集』で購入した中に入っていたから聴いたまで、という非積極的な姿勢ですので … 後日 コメントを書き足すかも知れません。
今日はここまでです。
※追加1_ ハイドンの「天地創造」は1796年から1798年にかけて書かれたオラトリオ。
「創世記」第1章とミルトンの「失楽園」をドイツ語訳したテキストに付曲された。 全3部1時間40分ほどの大規模な構成の曲だが、音楽がわかりやすく、宗教的な敬虔さ以上にとても華やかで親しみやすい。 ヴィーンでは新年に演奏されるハレの音楽でもある。 そんな音楽なので、録音物も多い。 LP 録音の技術が充実し始めた60年代以降は特に数も増えた。
当然 名だたる名指揮者たちは豪華な布陣で録音を試みている。 これらの、大編成モダンオーケストラの艶やかすぎるサウンドで、ドンドコドンドンドンとやられた演奏は、古楽演奏で親しんだ耳には違和感もあるのだが、これをこれとして楽しむ心の余裕が出てくると、しだいに不思議な風景が見えてくる。 それは「古い絵巻物」ではなく、大スクリーンで観る「総天然色」の映画の様だ。
カラヤン指揮による65年8月のザルツブルグ音楽祭ライヴ。 荒削りさと熱っぽさがあって、名盤といわれているスタジオ録音以上の感銘を受けた。 まだ 自分のスタイルに固執していない60年代のカラヤンは、音楽をいかに美しく響かせるかを考えながらも、まだ聴衆の望むものやその音楽が持ってきた慣例との公約数をしっかり維持している。
カヴァー写真はカラヤンとヴンダーリヒ。 後年のスタジオ録音では、ヴンダーリヒは完成前に事故死してしまい、約半分をヴェルナー・クレンが歌ったので、これは貴重な録音といえるだろう。 だが 自分の目的はもちろん、プライ。 アダム役で、第3部でわずか15分程度の出演だが、ガブリエル、イヴ (イーファ) 役のヤノヴィッツ共々、艶やかで柔らかく清潔な歌唱を聴かせてくれる。
モノラルだが、マイク位置がよかったのか、とても聴きやすい音に仕上がっている。 セッション盤のように、オーケストラばかり強調してしまう「カラヤンっぽさ」がないのも良い。
翌年 この公演の成功に気を良くしたカラヤン&DG スタッフは、ベルリンに移動してセッションを組む。 そこではなぜかプライではなくFディースカウに交代している。「色合い」も「温度感」も異なる歌手と入れ替えた理由はなんだったのだろうか。 Fディースカウの演奏は折り目正しく、ある意味「完璧な歌唱」だとは思うが、何か「ときめき」が不足しているように聴こえてしまうのだ。 アダムとイヴの話はエロティックでいいわけだし^^
しかしだ。 カラヤンは1969年に自ら主宰のもうひとつの音楽祭「ザルツブルク復活祭コンサート」で「天地創造」のソリストとして再びプライを起用しているのだ。 なにやらとても不思議である。 筋でいえば ここはFディースカウにしてしかるべきだ。 プライはその公演を自伝に取り上げる程、成果を感じていたようだ。
カラヤンは以前にプライを練習室に呼び出し、ベックメッサー役を持ちかけたりもしているし、結構気に入っていたのだろうか。 この要請を、プライは「自分には時期尚早」として断ってしまったようだが。
自伝には先に紹介の「魔笛」ではカラヤンのテンポに異論を唱えたことも書かれているから、カラヤンの「片思い」か、手なずけようとしても懐かない小犬として、しだいに少しずつ遠ざけられてしまったのか、真実はもはやわからないことだ。
音楽の世界では、役の性格付けを支配するものが、指揮者の取るテンポだとプライは常に意識していたようだ。 役作りを討論できない相手とは共演したくない … というのが正直な理由だったとも思われる。
以上