シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

北海道旅行2 … 藻岩山と博物館

2023年10月15日 | アート/書籍/食事
左はもいわ山ロープウェイのゴンドラ。 中央は「北海道博物館 アイヌ民族の伝統住居」。 右は中華料理店『札幌菜 虎鯨 (ふうじん)』店内。
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札幌2泊とニセコ2泊の4泊5日 (10月7〜11日) の旅行 2日目 (10月8日日曜) __

1) ホテルは宿泊だけでしたから、朝食は近くのコンビニからパン・牛乳・ヨーグルトを購入してきて、部屋で食べました。 翌日レンタカーを借りる予定ですが、フロントから 当日朝 借りるのは混むので 事前予約が望ましいと聞き、ホテル地下のレンタカー会社で予約しました。

午前中の予定は、大通り公園散策と藻岩山ロープウェイとケーブルカーで山頂への往復です。 徒歩で札幌駅南方向へ向かいましたが、途中の歩道上でキャリーバッグの取手が捨てられているのを見つけました。 観光客が引っ張ってきたキャリーバッグの取手が壊れてしまい、そのまま放置したのでしょう。 中国人だろうと推理しました (成田空港でも買い替えられた古いキャリーバッグが放置されて捨てられているという記事があります)。

繁華街から市電に乗ってロープウェイ入口で下車、無料シャトルバスを探そうとすると 一緒に降りた人たちが走っていきます。 私たち夫婦が着くと直前で係員から制止され、15分後のバスをお待ち下さいとなりました (走る人の理由はこれでした)。

けれど 百メートルほども歩けば、すぐに山麓駅に行けるというので 私たちは、徒歩で教えられた坂道を行きました。
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日曜日という事もあってか、ロープウェイとケーブルカーのゴンドラはかなり混んでいました。 幼子を連れた若い父親は、窓外を見せるために幼子を抱き上げて見せています。 シングルマザー (?) の若い母親も幼子を抱き上げています (若いお父さん・お母さんは大変です)。 子供のいない私たちは、人並みの苦労もしていないなぁと感じましたね。

藻岩山は札幌中心地に近く、格好の登山コースにもなっているようです (東京の高尾山のような存在らしいです)。 確かに頂上は見晴らしがよく、札幌市街が広く見渡せました。
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中心街のススキノへ戻り、見つけた中華料理店『虎鯨 (ふうじん)』に入り 坦々麺と麻婆茄子 (マーボーナス) ランチを食べたら、どちらも本格中国料理 (四川料理) で辛味が強くて美味しかったですね。 目から涙が溢れ、結果 ティッシュペーパーで何枚もかんでしまいました。 ここの料理は “当たり“ でした。

2) 午後は北海道博物館です。
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北海道開拓記念館を前身とし、北海道立アイヌ民族文化研究センターを統合し、名称を「北海道博物館」と改称した。 当館は野幌森林公園内にある。 常設展示はそのほとんどを考古学も含む歴史学系、および民俗学系が占めるが、学芸員には動物学と植物学双方の自然史系スタッフも配置されており、館による調査研究活動や社会教育活動が、人文系と自然史系の双方に渡って展開されている (ウィキペディア)。
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妻が調べたルートは、地下鉄東西線で大通駅から 終点の新札幌駅へ行き、そこからバスで博物館へ向かうというものでした。 電波塔を目当てに探しながら大通り公園へと向かうのですが、準備不足のせいか2度も道に迷い、1時間余りも無駄に歩きました。

やっと地下鉄に乗り、終点の新札幌駅でバス乗り場を探すのですが、これも分かり難く何度か訊いて 当該バス乗り場で待ち、やってきたバスに妻はすぐ乗り込もうとするので、「運転手に博物館に行くかどうか確認した方がいい」と妻にいうと、「このバスは行かない。 すぐ後に来るバスが行く」と教えられ、後に来たバスの “行き先表示に博物館とある“ ので、これで間違いないと納得、そのバスで向かいました。

着いたら3時過ぎで、閉館時間が4時半と聞き、また 帰りバス時刻が4時半と5時なので、閲覧時間は実質1時間しか取れませんでした (ただし 入館料はシニア割引で無料でした)。 間違ったバスに乗ったら、戻って出直しでまた1時間無駄にし、目的地に着いたら閉館時刻だったでしょう (準備不足の “ツケ“ は大きい)。

アイヌ民族は北海道の北方からやってきた狩猟採集民族で、中世の坂上 田村麻呂 (さかのうえ の たむらまろ 758〜811) 征夷大将軍が東北地方の蝦夷 (えみし) 征討を実行しており、この蝦夷がアイヌ民族です。 つまりアイヌは北方から移住・南下してきて東北まで達したのですが、次第に追いやられて北海道に後退したのです。

狩猟採集は安定した食料調達ができず その結果 大きな人口を養えず、米作農耕する大和民族が大きな人口を養えたから武力的にも強大となったのだろうと想像できます。 ロシア シベリア地方に住む地元民も、状況的には同じような少数民族でしょう。

また展示物の中に 昭和の高度経済成長期の手絞り式の洗濯機・14型ブラウン管テレビ・角の丸い小型冷蔵庫などがあったり、初期の小型車が展示されてるのを見ると、古い時代の憧れの人気品を持ち込んで 磨いて展示しているのだろうと想像しました。

面白いと思ったのは、大正期か昭和初期と思われる 石炭ストーブを備えた列車の客室中での当時の服装の家族・一般職業人・警官・軍人などの人形を並べ、それぞれの人が今 どういう立場・境遇で列車に乗っているかという説明を付けた生活史の展示でした。
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夕食はホテルと同じブロックにあるスープカレー専門店『カリー サボイ』に行きました。 メニューを持ってきた若いボーイさんが「メニューのこれこれは今やっていません」と示しながらいうので、書いてある品目の半分ほどしか提供していないのです。 “メニュー倒れ“ のお店でした。

けれど 出てきた「牡蠣カレー」と「チキン野菜カレー」はごろっとした大きな野菜がラーメン丼のような容器に入っていて、私たち夫婦とも食べ切れませんでした。 隣のテーブルのカップルは、私たちより後に入店したのに 若いせいか 私たちよりも早く食べ終わり “完食“ していました。

スープの色はカレー色でしたが、小麦粉を使わない お澄ましのような あっさりした薄味カレーでした。 ちょっと 私の好みの料理ではなかったですね。

今日はここまでです。

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