シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

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シカゴ響と名物批評家

2012年10月29日 | ドイツ以外の音楽
左上から 「オケコン 他」(ライナー指揮)、ライナー、小澤、「春祭」(小澤指揮)、左下から 「我が祖国」(クーベリック指揮)、ショルティ、「ツァラ、ティル、ドン・ファン」(ショルティ指揮 LP)。
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2006年6月8日投稿分__

引用が長くなりますが、シカゴ響の概要を語るには、これ (下記ウィキペディア) が最も適しています。

私もシカゴ響の CD は、ライナー/ショルティ指揮のものを多く持っています。 ベルリン・フィルに通じるような、骨太のイメージがありますね。 60年代 若い小澤がシカゴ響と録音した「春祭」(冒頭上右) もとてもいいと思います。 ボストン響との再録は未聴です。

90年 ショルティ/シカゴ響が冷戦終了後のハンガリー公演を行った映像 (LD) が残されています。 曲目はショルティの十八番、バルトークの「オケコンと舞踏組曲」。 この公演は、いわばショルティの里帰り・凱旋公演だったのでしょう。

69年に就任してシカゴ響にライナー以来の名声をもたらしたのがショルティでしたし、ショルティにとっても 40年頃ハンガリーから亡命して以来の里帰りだったでしょう。 LD 映像はライヴですので、ある部分 完璧ではありませんが、演奏は確かなものです (その分 少し暗い映像は難がありますね)。

シカゴ響に黄金時代をもたらしたライナー/ショルティがハンガリー系だったためか、ショルティ後の常任指揮者は名声を得ることが出来ず 彼らがハンガリー系以外の人たちだったせいもあり、"シカゴ響の名指揮者はハンガリー系" というジンクスはまだ生きているのかも知れません。 それと、流石に "名物批評家キャシディ" はもうとっくに存在していないのでしょうね。

バレンボイム時代はどうだったかというと、あまりぱっとしない印象です。 ハイティンク、ムーティと続きますが、どうも大物指揮者ではないようにも感じます。
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Wikipedia から ... シカゴ交響楽団 (Chicago Symphony Orchestra) は、現在アメリカ No.1 ばかりでなく、名実共に世界最高のオーケストラの1つとして君臨しているが、シカゴ・トリビューン専属の女流批評家だったクラウディア・キャシディ Claudia Cassidy も痛烈な批評で逸話に事欠かない。

1950年 36歳で就任した第5代音楽監督のチェコ人指揮者ラファエル・クーベリック Rafael Kubelik はマーキュリーに多くの名盤を残すが、キャシディの批評で辞任。

1953年 ハンガリー人指揮者フリッツ・ライナー Fritz Reiner が第6代監督に就任、アンサンブルを練り上げ、首席奏者の入れ替えを積極的に行い 格段のレベルアップを行った。 キャシディのライナー評は終始好意的だった。 国内の演奏旅行などで非常に高い評価を受け、メンバーの士気も高揚した。

1963年第7代監督の仏人 ジャン・マルティノン Jean Martinon は自作を含む仏音楽に力を入れ、シカゴ響が得意としていた独・オーストリアの作品を軽視した為、観客が減り、キャシディの批評も辛辣だった為、1968年に辞任。

1969年 第8代監督としてハンガリー人のゲオルグ・ショルティ Georg Solti が就任。 就任前に客演した際キャシディに酷評された為、キャシディがトリビュ ーンに在籍しているかどうか確認した。 このショルティ時代に世界最高のオーケストラの1つといわれるようになった。

1991年の創立100周年にショルティは勇退し、第9代監督にアルゼンチン出身のダニエル・バレンボイム Daniel Barenboim が就任したが、ここ数年プログラム内容の不人気などで定期会員が減少して赤字経営に陥り、監督に対する評価に変化がみられ、同氏が監督の契約を延長しないと発表した。

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以上

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