シャンテ サラのたわ言・戯れ言・ウンチクつれづれ記

"独断と偏見" で世相・経済からコミックまで 読んで楽しい 面白い内容を目指します。 

数年ぶりの慣れない法事であれやこれや1

2015年05月17日 | 分からな~い人生
シドニーでのアートワーク。 右写真は託明寺本堂で、右端に映るのは幼稚園建物。
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父の七回忌の法事で、生まれ故郷の新潟県・新発田市に夫婦で駅前ホテル一泊二日で行ってきました。 6年目が七回忌だから、亡くなって6年経ちます。 母は今92歳ですが、元気です。 命日は本来2月なのですが、母の体調を考慮して 寒い2月を避けて3ヶ月後にずらしたのです。
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連休の渋滞も避けて その1週間後に設定したから、高速道も混んでいません。 自宅 相模原から新発田まで 350km を5時間位で走りました。 しかも 圏央道・相模原インターがこの3月末に開通したので、そこまで自宅から 12~13分と便利このうえない。

圏央道から関越道・鶴ヶ島ジャンクションまで 50km、そこから北陸道に繋がる長岡ジャンクションまで 215km、長岡ジャンクションから新潟市を経て聖籠新発田インターまで 80km、7時 相模原発、新発田駅前ホテル着は0時半でした。 途中休憩を除いたら高速は4時間半くらいでしょうか。
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合流予定の2時前に母を連れて弟が車でやってきました。 部屋に入って休憩後 3時過ぎに伯母 (父の妹) の世話をしていた知り合い 飯田さん (仮名) と民生委員 大滝さん (仮名) に挨拶しようと家族4人で2人の家に向かいました。 (以前の3回忌から) 4年ぶりの訪問なので記憶が不確かで、車で通り過ぎてしまいましたが、引き返してすぐ見つけました。 元々小さな街なのです。

事前連絡せずに訪問したのですが、目当ての (伯母の世話をしていた) 飯田さんのお婆さんは在宅でした。 娘さん (といっても60代) が出てきて応対しましたが、すぐにお婆さんの部屋に案内されました。 4畳ほどの部屋にベッドがしつらえられ、お婆さんはベッド脇の椅子上のところに腰掛けていました。 

家族4人が入室すると、座る場所もなく、我々4人は立ったままでの挨拶となりました。 奥に “オマル” らしきものがあリマス。 トイレに行くよりも室内ですぐに済ませられるから便利なのでしょう (以前から足が弱かったのです)。 お婆さんは座ったままで相変わらず よくしゃべり、笑顔で元気そうでした。

お歳を訊くと92と応えましたが、娘さんは90ですよと訂正しました。 こちらから何を話しても、お婆さんは我々の墓を孫娘 (40前後か? ♯) たちが綺麗に掃除していますから大丈夫ですよといいます。 以前 色々と経緯があって、墓守を依頼していたのです。 よくしゃべり元気そうでしたが、手は細くなり、骨が浮いてかなり体重が減ったように見えました。

では お元気でと10分くらいで辞去しましたが、娘さんの婿どの (65~70歳? ※) は不在でしたので 娘さんに訊くと医者に行っているようでした。 後ほど 夕方 ホテルで私が「あのお婆さん あの “激やせ” ようじゃ あと数年かなぁ」というと、母は「1年持たないんじゃないだろうか …」といってました。
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飯田さんの後 伯母の世話をしていた民生委員 大滝さん宅を尋ねました。 こちらも道はよく覚えていないが、横道に入ってゆっくり探すとすぐに分かりました (元々小さな街なのです!)。 駅前通り商店街は相変わらずの “シャッター通り” で、これも全国共通の風景なのでしょう。 心無しか 以前よりシャッターが増えているようにも感じました。

大滝さんも在宅でした。 家族 (奥様) は出払っていて お一人しかいなく、こちらも15分ほどで辞去しました。 大滝さんの妻の弟 進二さん (仮名) とは、昔 小学校前にここで過ごした頃は遊び仲間でした。 私が転校した後は 全く連絡を取らずじまいで、先回尋ねた時に訊くとオーストラリアで寿司レストランを夫婦で経営しているということでした。

大滝さんの奥様にオーストラリア・メルボルンの住所を訊いて、連絡してみるとは一応いったのですが、実は連絡しませんでした。 いきなり手紙を出しても、60年ぶりでは もう他人といってもいいようなもので、まごついて対応に困るだろうと思ったからです。 それを 大滝さんにそのまま告げると、ああ そうでしょうと肯定していました。

お話しの中で、今76歳になり 民生委員は75の時に定年で辞めたそうで、そのあとの地区民生委員を先ほどの知り合いの飯田さんの婿どの (※) に引き継いでもらったといいます。 ところが 婿どのは病気を発症して、ここ3ヶ月は休んでいるそうです。 病気はがんらしいというが、詳しくは語りませんでした。 恐らく 詳しくは知らないのでしょう。

塾への送り迎えやら、夕飯を食べさせたり、小学低学年の孫娘の世話を専らしているそうで、孫娘が学校から帰っても両親が仕事からまだ帰ってないので、お爺さんの大滝さん宅にやって来るといいます。 孫娘のお稽古事の1つにピアノがあり、先生は知り合いの飯田さんの孫娘 (♯) です。 地域のせまい付き合いの1つなのでしょう。

「お孫さんの世話で楽しいでしょう」と水を向けると、「いやぁ たまにならいいのですが、毎日となるとねえ …」ということでした。 嬉しい側面で、頻度が多いとこれも少し負担にもなるということでしょうか。 次の法事でお尋ねする時までも どうぞお元気でと辞去しました。

"数年ぶりの慣れない法事であれやこれや2"へ続く

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