goo blog サービス終了のお知らせ 

都立上水高校 第1期社会科部OB・OG会公式ブログ

第1期社会科部は平成21年3月12日消滅。本ブログは現在活動中の新生「社会科部」様や都立上水高校とは一切関係ありません。

奥多摩をゆく ~文字でふり返る奥多摩研修~ 第9回

2005年12月22日 15時27分44秒 | 【連載】奥多摩をゆく(完結)

 さて、佐々木さんのおうちをすぎると、あとは普通の坂である。しかし、私どもは疲労困憊であったため、ひとまず休憩することにした。私がビジターセンターでもらった「むかしみち一部崩落による迂回コース案内図」を見てみた。そして先生と協議の末、どうもこの道は日原(にっぱら)方面に続いているらしいという結論に至ったため、私どもはこの先には神社はないと考え、ただ疲れた。いったい、神社はどこにあったのか、全く持ってわからない。先生が「私が前にインターネットで調べたときも、よくわからなかったんですよね~。」と話し、「鳥居が下にありましたから、もしかしたら山自体がご神体ということもありますねー。」などと説を発表して下さったが、真相はどうも不明である。すると、道の前方から、私とともにビジターセンターで説明を聞いていたおじいさんが、むっつりとした顔で下の方へ向かって行った。先生は「あの人、私たちの後ろを着いて来ていたんですよ。私たちが登るから、着いて行ったら何かあるのかな~、ってね。そしたら何もないから、あの人怒っていたんですよ。」と解説して苦笑なさったため、私は「悪いことをしたな~。」という罪悪感にさいなまれた。
 結局、9時47分、私どもは転進を決定した。構成員Bは「何のために登ったんすか~!?」と無念そうであったが、やむをえまい。佐々木さんの家をすぎ、石段を下ろうとしたその時!誰かが、写真のような怪しい石のオブジェを発見した。

先生は「もしかして、これがお祭りしているものなのか~?」と怪しみながらも、私どもは観察した。しかし、やはり真相は不明である。結局、私どもは石段を下ることにした。
 石段は少々急であるため、私どもは転落者が生じて玉突き事故が発生しないよう、ある程度間隔を空けながら降りた。まず会長がおり、続いて全権代行、出納担当、構成員Aが降りて行った。その次は構成員Bであったが、どうもこういうのは苦手のようで、慎重に降りられて行った。その後を私、先生が続き、副代表が殿(しんがり)をつとめた。
 私の前を降りる構成員Bは大変慎重であるが、私はこうしたものは難なくいけるので、段数を数えながらホイホイ下って行った。そのため、構成員Bに追いついてしまい、先生に上方から「そんなに急がないでくださ~い。」と言われながらも、構成員Bを追い抜いた。そして階段の途中で写真を撮影し、さらにどんどん降りて行くと、山門辺りで構成員Aにも追いついてしまったため、「ちょっと早すぎるよ~。」と講義されてしまった。
 さて、こうして先ほどの公園まで着いた(9時52分頃)。その後、構成員Bと先生も降りてこられたが、殿の副代表がなかなかこない。先生によると、「副代表には段数を数えてもらっています。」とのことであった。私の調査によると、佐々木さんの自宅から一番下まで218段であった。そして、いよいよ副代表が生還した。段数は215段とのことだった。3段ずれてしまったが、約216.5段の石段を私どもは登り降りした。
 今回の特別研修旅行は、波乱の幕開けであった。(つづく)(執筆:研究関連担当代表)

奥多摩をゆく ~文字で振り返る奥多摩研修~ 第8回

2005年12月21日 22時19分41秒 | 【連載】奥多摩をゆく(完結)
謎の羽黒三田神社 ~波乱の幕開け~(1)
 さて20メートルほど歩いて右折し、いよいよ奥多摩むかしみちに入った。早々から羽黒坂という、急な坂である。昔、木炭運びの多数の馬や大八車などが苦労した、そのような坂を登っていると、右手に石段が登場した(9時40分頃)。地図によれば、どうもこの石段の上に羽黒三田神社があるらしいので、登ることにした。
まず十数段登ると、目の前に鳥居が現れ、右手には遊具施設のある公園があった。鳥居の方を見ると、石段がまだまだ続いている。それも半端な量ではない。上が見えないぐらいと言える、恐ろしいほどの石段の数である。私どもはひとまず登って見ることにした。
 少し登ると、山門らしきものがあり、私どもはそれをくぐってさらに登った。しかし、登っても登っても、なかなか頂上に着かない。この石段は尋常では無かった。途中で、私は足が非常に疲れてきた。「足が消耗した」と言ってもよいだろう。会長は「踊り場と踊り場の間隔が異常に広いぞ。」と皮肉を言っていたが、本当に山門を越えてからは一切踊り場というようなものがなく、ただひたすら石段を登っていった。先生は苦しそうに「しょっぱなから過酷なことになりましたね~・・・・・・。」とおっしゃりながらも、私どもはただ登っていった。
 こうした過酷な環境を乗り越え、私は頂上に一番乗りした。しかし、そこには何もない。続いてやってきた会長や先生も「何だ、何もないじゃないかよ~!」と無念そうであった。しかし、よく見ると前方に、石が階段状になった上り坂があった。何と、まだ一番上ではなかったのである。そのため、私どもは再び上を目指して行った。すると、目の前に人家の門が登場。「佐々木さん」のご自宅であった。きちんと塀もあり、郵便受けも備わった門構えである。(つづく)(執筆:研究関連担当代表)

冬休みの活動日

2005年12月21日 12時42分05秒 | お知らせ
 いよいよ冬休みに突入します。社会科同好会では冬休み、以下の日に活動を行います。
 ・12月26日(月):学校にて 活動納めの会等実施(時間未定)
 ・1月8日(日):第7回特別研修旅行~羽村市方面~

 1月8日には羽村にて研修旅行を行います。もし、興味をお持ちの方がいらっしゃいましたら、気軽にお声をかけていただき、ご参加くださればと思います。(執筆:研究関連担当代表)

放送部の集会に参加して・・・

2005年12月19日 21時08分13秒 | 同好会会長が語る。
 本日、私は放送部の納会兼クリスマス会兼アナウンサーさんによる指導会という、集会にお呼ばれして参加してきました。場所は都立上水高校放送室でした。社会科同好会と放送部は、ある意味での『同盟』ですので、会長である私と研究担当代表がお呼ばれされたわけです。
 Thank you for inviting me!
 その集会で、放送部部長は『2006年問題』という問題を提起しました。
 『2006年問題』とは、2年次の部員より、1年次の部員のほうが極端に少ない団体で、現在の2年生の主力メンバーが来年3年次に進級すると、受験勉強に追われて部活動どころではなくなり、部の体制が揺らいでしまうことです。これについて、一番の解決法は1年生の部員の確保なのですが、先ず出来ることは、今いる1年次部員の能力強化です。これについては、放送部部長のT君も頭を抱えているでしょう。
 放送部の部長のT君! もし、放送部がやばくなったら社会科同好会が面倒を見るのでご安心ください。そのかわり、社会科部放送局になりますけどいいですか?。執筆:会長

私的団体の届出制度について

2005年12月19日 20時49分46秒 | お知らせ
 現在社会科同好会では、社会科同好会の活動には直接関係の無い活動を会内で行う場合に、『情報調査局』や『平日に難関大学を見学する会』などといったように『私的団体』を各個人で作って活動しています。その『私的団体』については、代表部側で把握している分しか確認できず、正確な数と活動内容を確認できないことがあります。
 そういった場合に対応するために、平成18年1月より『私的団体』を設立した、もしくはすでに設立している場合は、代表部に届出をしていただくことになりました。
 来年1月以降、届出のあった『私的団体』については順次、このブログなどで公示をしていきますので、宜しくお願いいたします。執筆:会長

どんな記事を読みたいですか?

2005年12月18日 17時30分11秒 | Weblog
 歳末となり、何かと慌ただしい日々が続きます。大晦日と言えば「NHK紅白歌合戦」。今年は「スキうた」なる企画が行われ、日々新生NHKへ向けた改革が続いています。
 さて、その「スキうた」というものは視聴者からぜひ聴きたいという歌を募集して、それを選考の際の参考にするという企画でした。
 本ブログも開設から2ヶ月を越え、閲覧者数も着実に伸びています。そんな中で、皆様はどんな記事を読んで見たいのか、又、掲載中の記事についてどんなご意見を持たれているのかといったことが、なかなかうかがいしれません。
 まさしく「スキうた」の本同好会公式ブログ版ということで、ぜひとも皆様から、本ブログについてのご意見等をコメント欄などを通じて頂ければと思います。

12月17日現在のアクセス状況

2005年12月18日 17時20分48秒 | お知らせ
 後期中間考査が終わり、冬休みを目前とした今日この頃。テスト期間中のアクセスは不思議と普段より大変多く、12月10日~17日の週間アクセスip数は新記録の180ipを記録しました(ヒット数は607hit)。
 さて、10月11日~12月17日現在の累計アクセス状況をお知らせします。
  アクセスip数:1433ip
  アクセスhit数:5122hit
 
 新春特別企画へ向けて、現在懸命に作業中です。又、最近更新の少ない会長執筆の好評連載「ブラックなアート集」は、現在新しいネタを蓄積中だそうです。
 皆様の閲覧が、公式ブログを支えます。今後もご愛読下さい。(執筆:研究関連担当代表)

奥多摩をゆく ~文字でふり返る奥多摩研修~ 第7回

2005年12月18日 10時28分37秒 | 【連載】奥多摩をゆく(完結)
波乱の旅の始まり
 参加構成員7名に先生を含め、今回の参加者は8名と確定し、9時27分、奥多摩ビジターセンターを出発した。
 奥多摩駅入口交差点を横断し、南へ進んでいると、左手に奥氷川神社が出現した。残念ながら今回の日程では見学しないことになっていたが、先生が「これは権現造で、江戸幕府の影響を受けたんでしょうね。」と解説をして下さった。
 ビジターセンターのおばさんから、郵便局の所で右折と教えられ、地図には生花店の所で右折と書いてあった。郵便局は道路の向こう側にあったが、生花店は少々分かりにくかった。しかし、「奥多摩むかしみち入口」と書かれたでかい看板があったので、私どもは右折をした。
 地図看板の隣には、岡田克也前民主党代表が写った、「TOKYO Manifesto2005 日本の選択in TOKYO」と書かれた民主党のポスターが2枚あった。ちょっと古いポスターではあるが、岡田さんは微笑んでおられた。たしか、この間の総選挙での民主党のキャッチコピーは「日本を、あきらめない。」であった。この日、天候はどんよりしていた。いつ雨が降るか、不安ではある。それでも、「奥多摩研修を、あきらめない。」。
 さて、会長はそのポスターの隣の看板を指差しながら、満面の笑みを浮かべておられた。その看板とは、「東京農業大学 奥多摩演習林位置図」。

どうも、「演習」というワードを見ると、血が騒ぐなどの過剰反応を示すお方である。来年の選択科目はほとんどが「演習科目」であるそうなので、1年間血圧検査等を受けないほうが良いであろうよ。(つづく)(執筆:研究関連担当代表)

奥多摩をゆく ~文字で振り返る奥多摩研修~ 第6回

2005年12月17日 16時25分28秒 | 【連載】奥多摩をゆく(完結)
奥多摩ビジターセンター(3)
 さて、私がまたもパンフレット探索を行っていると、窓口のおばさんが「今日はどこへ行かれますか?」と尋ねてこられた。私がやはり「奥多摩むかしみちです。」と答えると、「地図とかはお持ちですか。」と再び質問。一応、JR東日本で配布している「駅からハイキング 青梅・五日市線ウォーキングマップVol.2」及び「同Vol.3」を持っていたので、「まあ持っております。」と解答した。すると、「この地図はお持ちですか。」と言いながら、棚から「むかしみち一部崩落による迂回コース案内図」というプリントを出してこられた。平成17年4月5日に発生した、むかしみちの途中、中山~水根(みずね)間での崩落に伴う迂回路を案内する地図であった。
 「鉄道トンネル通り抜け体験もできる」という、プラス思考のサブタイトルがついたこの地図を使いながらおばさんが色々と教えて下さったので、1人で来たと見られる年配の男性登山客とともにお話を聞いた。
 こうして知識を頭に蓄え、9時19分、会長・構成員B・先生・副代表の4名がやって来られた。しかし、まだ会長全権代行と構成員Cが来ていない。すると先生が「副代表がずっと改札にはり付いていましたからね~、ねえ副代表。」と言うと、「はい、(2人は)いませんでしたね。」との返事。先生が「もし間に合わなかったら、どうするんですか。」と尋ねてこられたので、私は「その場合は置いていくことになりますね~。」と答えつつも、これは一大事と考え、ひとまず全権代行に連絡を取ることにした。
 幸い、このたび緊急連絡網を整備しておいたので、副代表の携帯電話をお借りして、早速電話をした。しかし、通じない。これは困ったと一瞬思ったが、すぐに携帯電話が鳴った。声の主は、全権代行であった。今どこにいるかと尋ねると、奥多摩駅の改札で少々迷っていると言う。そのためお迎えに行くことにし、ついでに構成員Cの動静についても尋ねると、「なんか、『喘息と微熱のため欠席するかも。』とメールがありましたよ。」というお答えであった。
 とにかく私は奥多摩駅に戻り、改札で全権代行にお会いし、ともにビジターセンターへ向かった。(つづく)(執筆:研究関連担当代表)

ビデオ上映会 1月中旬頃実施へ

2005年12月17日 16時21分26秒 | お知らせ
 ビデオ「社会科同好会2005」の一般上映会を、1月中・下旬頃に実施する方向となりました。昼休みと放課後に各1・2回ずつ実施する予定です。
 現在、関係諸機関と実施会場等について詰めている最中です。具体的に決定次第、本ブログや公式HP,又、構内掲示ポスター等でお知らせいたしますので、ご期待下さい。(執筆:研究関連担当代表)

私的団体 社会科同好会情報調査局の新設について

2005年12月16日 22時05分35秒 | お知らせ
 社会科同好会私的団体の新設が確認されました。新設された団体は、以下の通りです。
 名称  社会科同好会情報調査局
 
 目的  上水高校内外の情報をネット上などで調査し、社会科同好会代表部に情報を逐一通報する。また、社会科同好会が様々な面で円滑な活動を行えるように独自の任務・工作を遂行する。
 
 代表者  特殊な活動のため未公表  以上 (執筆:会長)     

上水高校の急速なIT化について

2005年12月16日 21時50分29秒 | 同好会会長が語る。
 現在社会科同好会では、社会科同好会公式ホームページと公式ブログを運営しています。社会科同好会に限らず、陸上部、演劇部などでも公式・非公式ホームページがあることは、私も確認しております。
 ここでは諸事情によりアドレスを載せることが出来ないのですが、上水高校の「闇」サイト(別に犯罪的な意味ではありません、公式には未確認なのです。)が2つあることも判明しています。もちろん、上水高校ネット界のドンである上水高校非公式サイト(このブログからもリンクしています)も、だいぶ前から存在を確認しています。その他、生徒個人のサイトを集計すると多くの数になります。
 また、多数のスレッドが乱立している電子掲示板上でも上水高校のスレッドが幾つか作られています。
 このように上水高校は非常に生徒のIT意欲が高く、他校と比較しても圧倒的に本校の勝利でしょう。
 この高いIT意欲に負けじと、このブログやホームページが開設されたわけではありますが、最近うれしいことに「ブログ見たよ!」とか「ブラックなネタを出しすぎて暗殺されるなよ!」などといったような励ましの言葉も多く聞こえてきます。
 ネット上で人間は比較的に感情を表に出しやすい傾向があります。これは人間が飲酒をしたときに、饒舌になるのと同じで心情がはっきりと表れます。これが悪い方向に向かうか、良い方向に向かうかは自らにかかっているわけですが、上水高校のネット界では良い方向に向かっていることが多いような気がします。
 以前、文化祭実行委員会が文化祭のことについて署名運動を起こそうかとしていたところ、上水高校のとある『高貴』な地位の人から、ストップがかかったことがあったそうです。時として、上水高校は署名運動という生徒の正当な活動を、無理に止めるような強権的な面があります。ですが、ネット上ではモラルを守る限りは自由な発言が出来るので、ここまで上水高校内でIT化が進んだのでは・・・と思っております。(執筆:会長)