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都立上水高校 第1期社会科部OB・OG会公式ブログ

第1期社会科部は平成21年3月12日消滅。本ブログは現在活動中の新生「社会科部」様や都立上水高校とは一切関係ありません。

新キャッチコピー決定

2005年12月04日 20時22分41秒 | Web版広報「上水社会ニュース」
 10月5日(水)の社会科同好会部員総会にて、平成17年度公式キャッチフレーズの審査が行われました。
 以下の3つの候補が出され、採決の結果、全会一致で「社会科同好会 新世紀への一歩 ~今こそ立ち上がるときだ!~」に決定しました。来年4月まで使用する予定です。
 尚、このキャッチフレーズは前回ご紹介した『上水高校非公式サイト』の旧サイト名と同様のものですが、同サイト管理人より使用許諾を受けております。

候補一覧
・ 社会科同好会 新世紀への一歩 ~今こそ立ち上がるときだ!~
・ 新時代をゆく21世紀型部活動 ~社会科同好会、動き出す~
・ 社会科同好会・HG ~ハイ グレード~を目指して。 (了)

 *ちなみに新キャッチコピー候補の3つ目「社会科同好会・HG ~ハイグレード~を目指して。」とレイザーラモンHGさんとの関係は一切ありません。

生徒会役員選挙立会演説会にて質問。

2005年12月01日 19時13分18秒 | Web版広報「上水社会ニュース」
 皆さんもご存知かとは思いますが、10月12日(水)、上水高校体育館にて、生徒会役員選挙立会演説会が行われました。
 
立候補者は以下の通りです。
会長候補:   (2-D)
副会長候補:  (2-E)     
副会長候補:  (1-C)     
書記候補:   (2-C)     
書記候補:   (1-C)     
会計候補:   (1-C)     
                   (信任票)

 以上の6名が立候補し、生徒による投票の後に競合することなく全員信任されました。
 投票は信任投票になりましたが、立会演説会での演説・質疑応答は、どの候補者も真剣そのものでした。
その中で、特に大きな盛り上がりを見せたのが質疑応答の場面でした。会長候補の福島氏が演説を終えて質疑応答に移ると、一瞬の沈黙が流れて質問は特に無いのかと思ったときに、2年次のある生徒が挙手をして質問を開始しました。
その後は、堰を切ったかのごとく挙手が相次ぎ、私も質問したいことがあったので挙手をし、質問マイクの前に立ちました。
 
質問:今年も上水祭に多くの人が訪れたが、せっかくきていただくのだから、もう少し楽しめるように生徒会のほうでも何か活動(文化祭の自由化・活性化)はできないのか?

候補者回答:今年は多忙のため、生徒会のほうでは出展等はできなかったが、来年度はできるだけ努力したい。
 
 
私は、候補者が当選した暁には上水祭をもっと生徒の自由な発想に任せて、上水祭を活性化できるように何か生徒会のほうで活動をしてもらいたいと 思い、質問をしたのですが、私の質問の仕方が悪かったせいで若干、候補者の回答の内容がずれてしまったような気がします。
 その後、会計候補の山本氏が行事実施案とひとつとして、『花火大会』を夏休み中などに開催したいという演説をすると、質疑応答のときに質問者から「うちの学校の先生は頭が固いから、そのようなことは無理なのではないだろうか?」という質問が飛び出すなど、今までの立会演説会の中では最も具体的な質問が多かったのではないでしょうか。
 今までの(と言っても1年半であるが)生徒会は、少しおとなしく、主張が見えないような感も否めなかったのですが、今回の候補者は具体的な主張を持つ人が多かったので、この1年間の活動には期待しつつ見守っていきたいと思います。(了)

Web版広報「上水社会ニュース」の説明

2005年11月14日 20時19分48秒 | Web版広報「上水社会ニュース」
 順番が前後してしまって申し訳ありません。Web版広報「上水社会ニュース」は、上水高校図書室で配布されている広報「上水社会ニュース」を若干修正(氏名等を削除しております)して、ネット上に公開できるようにしてから公開しています。ですから、たとえ広報「上水社会ニュース」が入手できなくとも、ご自宅のパソコンでお楽しみいただけます。執筆:会長

第5回特別研修旅行をふりかえって

2005年11月14日 20時12分35秒 | Web版広報「上水社会ニュース」
 本日(11月6日)同好会の研修旅行で玉川上水の本流である、多摩川の原点を探るという事で、奥多摩へといってきました。奥多摩の駅から奥多摩むかしみちを行くルートで、青梅の住人なのである程度予想は付いていたのですが、山あり谷ありの険しい道で、とても疲れました。
 奥多摩駅を発ってすぐに羽黒三田神社への参道が215段に及ぶ階段を上った先にあるらしいのですが、結局見つからずまた引き返す羽目になったり、時代劇にでも出る(出た?)ような道を歩き、とても人家があるような場所には到底思わない所に集落があったり、渓谷に架かる吊橋を渡り、ダム建設用の軌道のトンネルを通過したりと…。今までにない研修旅行になりました。車であればものの20分で着くところですが、休み休み5時間ほど歩きとおしました。
 この道は青梅の旧街道なので、昔はそこそこ人の往来があった様ですが、今となってはハイカーと住民ぐらいしか通らない道となっていました。この険しい道ながらも宿場町はここ青梅までで、青梅を過ぎると茶店と小さな宿屋が有ったのか無かったのかと言うぐらいの道で、旅人もいささか苦労を強いられたのでしょう。また奥多摩湖も昔は小河内地区の集落があったそうですが、ダムの建設の際に強制退去をさせられたようです。ダムサイドは多摩有数の観光地となりましたが、昔は、静かな集落が佇む町のようでした。