さて、佐々木さんのおうちをすぎると、あとは普通の坂である。しかし、私どもは疲労困憊であったため、ひとまず休憩することにした。私がビジターセンターでもらった「むかしみち一部崩落による迂回コース案内図」を見てみた。そして先生と協議の末、どうもこの道は日原(にっぱら)方面に続いているらしいという結論に至ったため、私どもはこの先には神社はないと考え、ただ疲れた。いったい、神社はどこにあったのか、全く持ってわからない。先生が「私が前にインターネットで調べたときも、よくわからなかったんですよね~。」と話し、「鳥居が下にありましたから、もしかしたら山自体がご神体ということもありますねー。」などと説を発表して下さったが、真相はどうも不明である。すると、道の前方から、私とともにビジターセンターで説明を聞いていたおじいさんが、むっつりとした顔で下の方へ向かって行った。先生は「あの人、私たちの後ろを着いて来ていたんですよ。私たちが登るから、着いて行ったら何かあるのかな~、ってね。そしたら何もないから、あの人怒っていたんですよ。」と解説して苦笑なさったため、私は「悪いことをしたな~。」という罪悪感にさいなまれた。
結局、9時47分、私どもは転進を決定した。構成員Bは「何のために登ったんすか~!?」と無念そうであったが、やむをえまい。佐々木さんの家をすぎ、石段を下ろうとしたその時!誰かが、写真のような怪しい石のオブジェを発見した。
先生は「もしかして、これがお祭りしているものなのか~?」と怪しみながらも、私どもは観察した。しかし、やはり真相は不明である。結局、私どもは石段を下ることにした。
石段は少々急であるため、私どもは転落者が生じて玉突き事故が発生しないよう、ある程度間隔を空けながら降りた。まず会長がおり、続いて全権代行、出納担当、構成員Aが降りて行った。その次は構成員Bであったが、どうもこういうのは苦手のようで、慎重に降りられて行った。その後を私、先生が続き、副代表が殿(しんがり)をつとめた。
私の前を降りる構成員Bは大変慎重であるが、私はこうしたものは難なくいけるので、段数を数えながらホイホイ下って行った。そのため、構成員Bに追いついてしまい、先生に上方から「そんなに急がないでくださ~い。」と言われながらも、構成員Bを追い抜いた。そして階段の途中で写真を撮影し、さらにどんどん降りて行くと、山門辺りで構成員Aにも追いついてしまったため、「ちょっと早すぎるよ~。」と講義されてしまった。
さて、こうして先ほどの公園まで着いた(9時52分頃)。その後、構成員Bと先生も降りてこられたが、殿の副代表がなかなかこない。先生によると、「副代表には段数を数えてもらっています。」とのことであった。私の調査によると、佐々木さんの自宅から一番下まで218段であった。そして、いよいよ副代表が生還した。段数は215段とのことだった。3段ずれてしまったが、約216.5段の石段を私どもは登り降りした。
今回の特別研修旅行は、波乱の幕開けであった。(つづく)(執筆:研究関連担当代表)