昨日、玉川上水の本流である多摩川の原点を探るという事で、奥多摩へ行きました。奥多摩ビジターセンタから羽黒三田神社、槐木、白髭神社、しだらくの吊り橋、鉄道(廃線)トンネル、をまわり奥多摩湖へ至るルートを歩みました。私自身が青梅の者なので、ある程度察しはついていたのですが、山あり谷ありの険しい道で、とても疲れました。(今日現在も足に違和感が残っています)
奥多摩ビジターセンタから表街道を離れ旧街道へと入ってすぐのところに羽黒三田神社への参道があります。ここの階段が総計215段に及び、約45mほどの高台(1段20㎝での概算)まで登ったところ何もなかったので結局もと来た道を引き返す羽目になりました。その後、時代劇にでも出てきそうな(奥多摩は実際にロケを行うらしい)山道を歩き、とても人家があるとは到底思えない崖沿いところに集落があり、そこを歩くと今ではあまりお目にかかれないような古民家があったり、多摩川の渓谷に架かる吊り橋を渡り、崖崩れで通れないため大幅な迂回をしたり、ダム建設用の廃線軌道のトンネルを通りと…、今までにない研修旅行になりました。また途中から恐れていた雨も降って来るという条件の中やく5時間ほどかけて歩き通しました。とても険しい道でしたが、がけの上から見えた、静かに佇む奥多摩湖は、優美なものでした。
昔から様々な旅人が往来したこの道も今では、ハイカーぐらいしか通らない静かな道になっていました。途中茶店があった跡はあり、青梅の旧街道なので、この険しい道を昔の旅人たちは遙か江戸、甲府へと歩んでいったのだと考えると、感慨深くさせられます。
やったのことで着いた奥多摩湖も昔は小河内の静かな集落があった地で、ダムの建設の際に強制退去が命じられ、泣く泣くこの地を捨てた人もたくさんいて、また建設の際に多数の方の尊い命が失われたという悲しい現実もあったそうです。
今となっては多摩有数の観光地となり、その当時の面影は見る影を失いましたが、このような人々の悲しい現実の上に建つこの施設を大切にしていくことが必要です。
この後、バスに乗り、奥多摩駅へと戻ったのですが5時間かけて歩いた道なのですが乗車時間はわずか15分ほど、今となってはどこへでもすぐに行ける世の中になりましたが、昔の人は相当な苦労を強いられていたのだとつくずく考えさせられました。
(おわり)
著者:特別研修旅行担当者会副代表(総合統括副代表)
追伸:私のブログでも共同公開中です。
特別研修旅行(個人ブログ版)
奥多摩ビジターセンタから表街道を離れ旧街道へと入ってすぐのところに羽黒三田神社への参道があります。ここの階段が総計215段に及び、約45mほどの高台(1段20㎝での概算)まで登ったところ何もなかったので結局もと来た道を引き返す羽目になりました。その後、時代劇にでも出てきそうな(奥多摩は実際にロケを行うらしい)山道を歩き、とても人家があるとは到底思えない崖沿いところに集落があり、そこを歩くと今ではあまりお目にかかれないような古民家があったり、多摩川の渓谷に架かる吊り橋を渡り、崖崩れで通れないため大幅な迂回をしたり、ダム建設用の廃線軌道のトンネルを通りと…、今までにない研修旅行になりました。また途中から恐れていた雨も降って来るという条件の中やく5時間ほどかけて歩き通しました。とても険しい道でしたが、がけの上から見えた、静かに佇む奥多摩湖は、優美なものでした。
昔から様々な旅人が往来したこの道も今では、ハイカーぐらいしか通らない静かな道になっていました。途中茶店があった跡はあり、青梅の旧街道なので、この険しい道を昔の旅人たちは遙か江戸、甲府へと歩んでいったのだと考えると、感慨深くさせられます。
やったのことで着いた奥多摩湖も昔は小河内の静かな集落があった地で、ダムの建設の際に強制退去が命じられ、泣く泣くこの地を捨てた人もたくさんいて、また建設の際に多数の方の尊い命が失われたという悲しい現実もあったそうです。
今となっては多摩有数の観光地となり、その当時の面影は見る影を失いましたが、このような人々の悲しい現実の上に建つこの施設を大切にしていくことが必要です。
この後、バスに乗り、奥多摩駅へと戻ったのですが5時間かけて歩いた道なのですが乗車時間はわずか15分ほど、今となってはどこへでもすぐに行ける世の中になりましたが、昔の人は相当な苦労を強いられていたのだとつくずく考えさせられました。
(おわり)
著者:特別研修旅行担当者会副代表(総合統括副代表)
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