3日目(7)
濱江丸の章
1時30分乗船し、兄島を出発して父島二見港へ向けて出発した。2時28分頃、父島境浦海岸沖合いに至り、沈没船を目撃した。
これは濱江丸(ひんこうまる)というそうで、大戦中は南方方面に物資輸送を行っていた。しかしサイパン陥落前々日の昭和19年6月12日、サイパン北方で爆撃され、操縦不能に陥り1ヶ月太平洋をさまよった。その後復旧し北上したが、7月末、父島近海で雷撃機による魚雷を受けたが撃沈はせず、境浦沖合いに座礁して乗組員は陸にあがったという。
昭和38年のチリ地震の津波で海岸近くの現在地に流され、その後放置されて現在はだいぶ沈んでいる状況である。
3時5分頃、二見港に上陸した。(おわり)
※お知らせとお詫び※
筆者、会長就任による多忙のため、及び本連載への人気が低迷していることを受け、本連載は今回で打ち切ります。ご愛読下さいました皆様、突然の終了となり大変申し訳ありません。
今後は連載中の「奥多摩をゆく」をはじめ、さらにクオリティーが高く楽しめる記事を書いてまいりますので、本ブログ御愛読のほど、何卒宜しくお願い申し上げます。(執筆:会長<元・研究関連担当代表>)