*『美味しんぼ「鼻血問題」に答える』著者 雁屋 哲 を複数回に分け紹介します。5回目の紹介
美味しんぼ「鼻血問題」に答える 雁屋 哲
何度でも言おう。
「今の福島の環境なら、鼻血が出る人はいる」
これは”風評”ではない。”事実”である。
2年に及ぶ取材をへて著者がたどりついた結論はこうだ。
「福島の人よ、福島から逃げる勇気を持って下さい」
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**『美味しんぼ「鼻血問題」に答える』著書の紹介
原発に反対したら、危険人物
汚染度の高い地域に行くと、もっと厳しいことになりました。
2011年の11月には立ち入り禁止だった南相馬市の小高区が、警戒区域解除後に避難指示解除準備区域に再編されて立ち入り可能となったので、2012年5月10日に、福島県有機農業ネットワークの前代表だった根本洸一さんをお訪ねしました。
避難指示解除準備区域というのはわかりづらい言葉ですが、立ち入ることはできるが、そこに夜宿泊することはできない、というものです。
電気もない、上下水道も働かない。夜、泊まりたくても泊まれない。生活することのできない環境です。
だから「準備区域」などというわかりづらいことをいうのでしょう。
根本さんは有機農業一本で生きてこられた方です。
その根本さんのお話は大変に衝撃的でした。
30年前に根本さんの属している農協で、原発反対の署名運動をして、それが通った。すると、そのとき農協の理事長だった根本さんに地元の実力者から「そんなことやったら、あなたの家はつぶれますよ。息子さんは就職できない、嫁さんはもらえない」といわれた。
当時は、地元の有力者のツルで就職するのが普通だったそうです。
根本さんはお子さんが3人いますが、それなら地元の世話にならず自力が生きていけるようにと、奨学金はもらいましたが、3人とも大学を卒業させて、地元の世話にならず自力で就職できた。
原発事故以前は、原発に反対する人間は危険人物だったそうです。
「ここで原発に反対するのは、大変なことだった。私は危険人物なのな」
と根本さんは笑っておっしゃいましたが、今になって私も、原子力村といわれる勢力に少しでも反対の意見をいうとどんな目に遭うか、よくわかるようになりました。
しかし、私のように外部から物を見て何かいう人間と違って、現実に福島第一原発が目の前にある根本さんは、30年前から反原発を主張してきて、周囲から強い圧力を受け続け、お子さんの教育もご自分の主張を通すために方針を決めて生きてこられた。自分が正しいと思ったことを貫きとおす、人間としての本当の芯の強さに、私は深く心を打たれました。
2011年から2013年まで福島を取材して歩いて、辛いことばかりでしたが、根本さんと出会えたことが、私があきらめかけていた人間としての希望を失わずに生きる道を改めて教えてくれたと思っています。
根本さんとはこのあと、2011年の秋にもお会いしますが、このときも2012年の秋にお会いしたときも、相馬市に避難していて、そこからご自宅に通う生活をしておられました。
私が2012年5月10日のお訪ねしたときには、避難先から自宅に通って試験栽培として稲作をしておられました。
試験栽培とは、その土地で稲を栽培して、どれだけ安全な米がとれるかを試験するものです。
根本さんの利益には一切なりません。国に委託されての仕事です。
私は、根本さんが携わっておられる上耳谷の生産組合の試験田を見学させていただきました。その試験田は全部で10アールの田が4枚。
私たちが見学したとき、その試験田の空間線量は、毎時0・65~0・73マイクロシーベルトでした。その数値を見て、根本さんは、
「2011年9月頃の文科省の発表では毎時1・2くらいはあったから、その頃から比べると下がったんだなあ」
とおっしゃいました。
その時、少し高いところから見た、試験田周辺は無惨は姿でした。
どこの田も、田と田の間のあぜ道の存在がかろうじてわかる程度で、一面に雑草がはびこっていて、これがかつての美田とは信じることもできない荒れ果てた野原でした。
田畑というものは、人間が毎日手塩にかけなければその存在が成り立たないものなのだということを、痛切に感じました。
※続き『美味しんぼ「鼻血問題」に答える』は、10/20(火)22:00に投稿予定です。
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