広島原子爆弾による黒い雨により被爆した2才の少女。
10年後、急性リンパ性白血病で12年の短い生涯を閉じた
http://friendly756.blog111.fc2.com/blog-entry-129.html より(引用開始)
原爆・原発 2011.08.07
『佐々木禎子物語』
1945年8月6日
2歳のときに広島市に投下された原子爆弾によって、
爆心地から1.7kmの自宅で黒い雨により被爆した。
同時に被爆した母親は体の不調を訴えたが、
禎子は不調を訴えることなく元気に成長した。
1954年8月の検査では異常なかった。
また小学6年生の秋の運動会ではチームを1位に導き
その日付は1954年10月25日と記録されており、
偶然にも自身の命日となるちょうど1年前であった。
しかし、
11月頃より首のまわりにシコリができはじめ、
1955年1月にシコリがおたふく風邪のように顔が腫れ上がり始める。
病院で調べるが原因が分からず、2月に大きい病院で調べたところ、
白血病であることが判明。
長くても1年の命と診断され、
広島赤十字病院(現在の広島赤十字・原爆病院)に入院。
千羽鶴を1000羽折ると願いが叶うと聞き、折り始める。
当時、折り紙は高価だったので、薬包紙を使った。
小さな折り紙は、針を使って丁寧に折った。
しかし、
1000羽折ったものの病気が回復することはなく、
1955年10月25日に亜急性リンパ性白血病で死亡。
(引用終了)
一人の被爆少女の死-佐々木禎子さん12歳
1955(昭和30)年秋、一人の少女が亡くなりました。
被爆から10年後でした。
そのころ広島には活気が戻っていました。
しかし復興の陰で、
被爆の傷はまだ色濃く残っていました。
また当時、アメリカとソ連は
競って核実験を繰り返し、
日本でも雨から自然放射線を上回る
放射線が見つかっていました。
人々は核兵器に無関心ではいられなかった、
そんな時代のことでした。
子供たちの動揺
1954(昭和29)年/平和記念公園
禎子さんが入院し、
野村先生から「原爆症」と
聞かされた竹組のみんなは信じられず泣き出す子もいました。
禎子さんを支えなければと
交代でお見舞いに行くことに決めました。
禎子さんが気落ちしてはいけないので、
病気のことは決して知らせないと約束しました。
白血病の女の子の死
1955(昭和30)年夏/広島赤十字病院
7月、ユキちゃんと呼ばれていた5歳の女の子が
禎子さんと同じ白血病で亡くなりました。
顔には禎子さんの足にみられるような斑点が出ていました。
「うちもああして死ぬんじゃろうか。」
同室の大倉さんと一緒にお別れを言いに行った禎子さんは
ポツリともらしました。
暗い廊下で二人は抱き合って泣きました。
手に血液を入れられている時は、大変痛かった。
医者さんが言われるには、
少し痛いことをしないと治らないと言われました。
痛い目をしてでも良いから私は早くよくなって
春休みにはおねえちゃんのところに行くかも知れません。
(禎子さんが文通相手に書いたとされる文章)
私も原爆を受けて入院したのです。
私は八月六日の日におまいりして、私も
「原爆許すまじ」の歌を歌い
病院に帰ってもベッドの上に寝て歌っています。
口に出せない寂しさ
1955(昭和30)年秋、禎子さんの病状はかなり悪くなっていました。
寂しいのをこらえて禎子さんは
「(弟や妹が寂しがるから)早く家に帰ったほうがいい」と言うのですが、
お母さんを見送る禎子さんの目には涙が浮かんでいました。
「禎子ちゃん、泣いとったら帰れんじゃないねえ」
とお母さんもつらくて泣いてしまいました。
もう一人にはできないと、次の日からお母さんは病院に泊まり始めました。
永遠の別れ
1955(昭和30)年10月26日/真光寺
10月中旬、左足は赤紫色になり1.5倍にまではれて、
眠れないほどの激痛が禎子さんを襲いました。
10月25日の朝、危ないということで、家族が病室に集まりました。
お父さんが何か食べるよう勧めると禎子さんは
「お茶漬けが食べたい」と言いました。
急いで近くの食堂でごはんを買って来て、一さじ口に含ませました。
「おいしい」それが最期の言葉でした。
二口目を食べると眠るように息を引き取りました。
約8カ月の入院生活でした。
家族の苦しみ
禎子さんの両親は、子供に先立たれるという不幸にあいました。
また当時生活が苦しかったため、親として十分なことがしてやれなかったという
後悔で胸が締め付けられました。
そして、原爆による白血病だったのかと思うたび、
戦争が終わって10年もたった今になってなぜ、
というやり場のない感情がわきあがりました。
<知合いの息子5才、突然白血病発症>
治療費、なんと2年で1千万円!!
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/487f7dc78dee5ab139630b66edcd0f13
先月、福島県郡山市、中学2年生の女子が急性白血病で亡くなった。
訃報を知った子供達はマスクをつけ始めた
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/9b4e44b3edd0bfa04dd1e91ba83bc9fa
2013年4月16日
【注意】白血病の初期症状がインフルエンザの症状に酷似
【1週間で約2倍…インフルエンザ患者急増140万人に(福島県がワースト1位)】
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/3f0e2f13e0c68e9ca4e04eeebf46412d 2013-02-02
福島の癌化のスピードはチェルノブイリの5倍。尋常でない。
”甲状腺癌、白血病の報告が次々と届いている”
http://blog.goo.ne.jp/jpnx05/e/c1b246f7df066f7b64a47b5474b8abe8 2012-08-29
<拡散> 症状の進行が尋常ではないスピードです。
症状のある方で避難を予定している方に急ぎみなさんから避難を呼びかけてください。
被曝した子供が続々と判明鼻血とまらず、白血病の前触れか。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1364528308
2011/6/15 markdreamsevenさん
被曝した子供が続々と判明
鼻血とまらず、白血病の前触れか。
~低線量被曝の初期症状~
下痢、皮下出血(局所に赤紫の斑点) 、
脱毛、吐き気&嘔吐、歯肉からの出血、
鼻血、皮膚のかゆみ、喉の痛み、リンパの異常
『止まらぬ下痢』
@0o0apricot0o0
@onodekita @onodekita @osamu__
次男の足の裏に赤紫の斑点がまた出て来ています…
小児科医にはシモヤケと言われたものと同じ。
こんなに暖かいのになるハズもないのですが…。
(家より暖かい病院にいるのにw)
鼻血が頻繁に出る場合、白血病の疑いが考えられます
http://www.sakuranomizu.com/hanaji.html
白血病の場合には、特に年齢には関係なく子どもでも大人でも頻繁に鼻血や歯肉からの出血を繰り返し、なかなか止血する事が出来ないという特徴が挙げられますので一般の出血とは明らかに違いがある事が分かります。
【白血病入門】白血病の初期症状と血液データの読み方
http://blog.goo.ne.jp/jpnx02/e/e2d77b20f508c8532d1f1c5e02c9382b
白血病はいろいろあって、それぞれ性質が異なる
しかも一つ一つの症例数は少ないため、
1~2年程度の経験の医師では発見できない可能性がある
単に白血球の数だけを調べていても、早期の異常の発見はできない
長崎原爆の被爆体験、政府への怒り・・・
(福島原発事故に長崎市民の声)
http://blogs.yahoo.co.jp/x_csv/20413382.html
白血病は、はじめに寒気がして咳が出るなど
風邪と同じ症状になり、免疫力がないのでそのまま弱って死んでいく。
なんの情報もなく、だれも放射能の影響とは思わないので当時は
“肺炎”と診断されていた。
http://www.youtube.com/watch?v=3p73GY19ZrY (必見動画)
既に、東北の人達は下痢が始まっている。被爆の最初の症状です。
これは、薬をつかっても止める事ができないのです。
現在、元気な人も含め、放射線の病気が始まってくるのは、
この秋から来年の春にたくさんでてくると思われる。
しかし、下痢になったことを今の医学で証明する事ができない。
理由は、放射線のつぶは、定規の1ミリの60億分の1である。
これが体の中に入って悪さをする。
細胞の中のさらに、60億分の1のところを今の医学では、
みつける方法がないのだ。
直すこともできない、消すこともできない、
特別なエネルギー。
なぜ、このような原発を選んで電気を発電しなければ
ならないんだろう。
放射線は、まだ人間が自由にコントロールできない
エネルギーなのです。
ひとたび、原発事故をおこせば、
何百万人という人が・・、
今、東北で苦しむ。
それは、みなさんの明日に、それが無いとはいえないのだ。
絶対に国民の力で原発、核兵器を無くそう!
人類が長生きするためには、世界中でこれを実現しなければならない。
アメリカやドイツ、フランスでは、自国民をすぐに80キロメートル圏より外に
逃げさせたが、それは、それぐらいでないと将来が危ないことを知っているからだ。
日本の政府は何もしらない、とぼけたことをやっている。
日本国民の力を結集し、世界から核兵器をなくそう!
これからの自分達の将来、自分達の子供達、孫に
放射腺の恐ろしさや不安を感じさせる事が無い国に
つくりかえないといけない。