唐招提寺

2022-06-02 18:06:36 | 写真

唐招提寺は唐から招かれた鑑真の寺と理解していました。

これは大いなる間違えであることが判明しました。

多分このように理解していたのは私だけだったのではないかと思います。人に言わなくて良かった。

Wikipediaによれば

続日本紀』等によれば、唐招提寺は僧・鑑真天平宝字3年(759年)、新田部親王天武天皇第7皇子)の旧宅跡を朝廷から譲り受け、寺としたものである。寺名は当初は「唐律招提」と称した。「招提」は、サンスクリットのチャートゥルディシャ・サンガ(「四方」を意味するcāturdiśaに僧団組織を意味するサンガをあわせた語。現前する僧だけでなく、全ての僧のための組織を意味する)に由来する中国語[2]で、四方から僧たちの集まり住する所を意味した。鑑真研究者の安藤更生によれば、唐では官寺でない寺を「招提」と称したという。「唐律招提」とは、「唐の律を学ぶ道場」の意であり、後に官額を賜ってから「唐招提寺」と称するようになった[3]

とありました。

2004年7月に一度訪れているのですが、その当時平成の大修理の真っ只中、金堂の有美な姿を見ることはできませんでした。

当時左足を膝脛骨頭部粉砕骨折の手術をして退院したばかりで、松ばつえ二本を使って歩き回りました。

こんな感じです。本物のレントゲン写真です。←レントゲンフィルムを写真に撮ったものです。

18年ぶりにやっと見られた金堂

人が写っていないのはこの一枚だけでした。

礼堂と鼓堂

講堂

修学旅行生でいっぱいでした

この一団とは京都、祇園の八坂神社でも会いました。

関東の中学生でした。

私のころは、同じ関東ではありますが、日光でした。

58年前になります。枕投げしたなー、女子部屋に全員集まって先生に文句言われた記憶がある

写真もしっかり撮ってある。

女房もしっかり写っている?

京都は、迎賓館の見学が目的でした。

八坂神社の直ぐそば、一力亭との中間くらいのホテルに泊まりました。駐車場は建仁寺でした。

 

 

 

 


紫香楽宮

2022-06-01 17:04:46 | 写真

今回奈良から、京都、大阪、(予定では名古屋)を訪れたのは、50年前関東、横須賀のポットでの兄ちゃん(私)に生涯の趣味写真を教えてくれた、写真屋のご主人が3月24日に亡くなり、お線香を上げに行くことが主目的でした。

約50年前未だ幼稚園前であったお嬢さんに会いたいと、思い土曜日を選び出かけてゆきました。

ついでに50年の間に見学し損ねていたり、修理中で見学できなかった観光施設を見られたらいいなと思いつつ、のこのこと出かけました。

前回記述したように前途多難な出発でしたが、「紫香楽宮跡」を偶然見つけて有頂天。

前回は、元伊勢・真名井神社を発見し感激しましたが、今回は紫香楽宮跡でした。

西名阪にむけ四日市JCTを曲がってしまったら「紫香楽宮跡」は、生涯、恭仁京もしくわ平城京、勘違いしても斑鳩にあると思っていたことでしょう。

ラッキーでした。

車で通り過ぎて「えっ!!紫香楽宮」Uターン一キロ程先で引き返しました。

今ではこの地は、紫香楽宮跡ではなく、寺院跡となっているそうです。

あのなら東大寺の大仏建立以前に聖武天皇が、大仏建立の詔を発した「甲賀寺」跡と見られているようです。

「紫香楽宮跡」は、地図上は、「甲賀寺跡」下側中央の上に小さな長方形があるのですが、そこに大型建物跡が発見され「紫香楽宮跡」とされているそうです。

入り口

その先

神社

神社前

なんてことない写真なのですが、私にとっては、世紀の大発見でした。

平城京朱雀門など比べ物にならない大発見でした。

行ってよかった。