自らの時代を省みる
自らの生きてきた時代を歴史として認識する等と言う事は所詮不可能な試みなのかもしれない。でも、明治維新から現在に至る日本、これだけの大きな変動を受けた時代に生を受け、その時代を知る努力もせずに諦めてしまうには、あまりにも情けなく且つもったいない。いつも少しでも理解し、少しでも次世代に申し送りしてという気持ちで一杯であるが、歴史の扉は頑丈に出来ている。
そして、明治維新からの日本を知るには同時に同時代の世界も知らねば成らないが、そこに横たわるとてつもなく大きな問題は、一つには宗教、二つには人種問題と呼ぶには軽すぎる白人だけが人間だとする思想、まあ「白人主義」とでも呼んでおくか、この二つが立ちはだかる。そして、この二つは微妙に絡み合うのだが、後者の「白人主義」は奴隷問題と原住民殺戮問題とに分かれる。
22日の産経は「奴隷貿易廃止から200年迎える英国」という記事を掲載しているが、産経らしい良い取り上げ方である。
外信部の坂本英彰によると「ブレア英首相はほぼ2世紀も前にさかのぼって、奴隷貿易について謝罪に一歩手前とも言える‘深い悲しみ’を表明したのを機に、英国内で首相表明の適否めぐる論議が起きている。来年三月に廃止200周年を迎える英国の奴隷貿易とその克服の歴史を振り返りつつ、首相の微妙な言い回しの真意を考えてみたい。」とし、「謝罪にまで踏み込まなかった点に、補償問題につながりかねないとの懸念が見え隠れしてくるのだ。」と締めくくっている。
更に興味が湧くのはこの記事には「欧米の奴隷廃止をめぐる動き」とした、各国の年表がついている。
1787 米、オハイオ川以北の州で奴隷禁止
1802 デンマーク、奴隷貿易を禁止
1807 英、奴隷貿易を禁止
1808 米、奴隷貿易を禁止
1834 英、領内の奴隷制度廃止
1848 仏、領内の奴隷制度廃止
1865 米、奴隷制度廃止
(平凡社‘世界大百科事典’などから)
英、仏で領内の奴隷制度が廃止されてから、直ちに差別解消に実効が上がったのか定かでないが、アメリカに例を採れば、その取り上げ方がいつも英仏に遅れており、奴隷制を廃止するにもその影響が大きかったことが良くわかる。公民権法が成立し南部での黒人への差別が緩和しだしたのがこの記事では取り上げられていないが、なんと1964年、ケネディが死んだ翌年であり、150年近く掛かっていると言って良いのだろう。
従って、今もってアメリカには人種差別の影響が色濃くあると考えざるを得ない、そして日本はそれを良く知った上でアメリカと付き合ってゆかなければならない。それが日本が先の戦争から学び取らねば成らないことではないか?
果たして2年後の2008年、アメリカ大統領はブレア同様に悲しみを表明するのだろうかという興味もあるが、私にはこのようなアメリカの人種問題がアメリカの外交に与えたであろう点にも注目してゆきたいと考えている。きわめて微妙な話になるのではと思っており、その取り上げ方が難しい。