JOHNY’s BLOG

かほりたつあざやかなはなとどめおくおもいをよせる淡雪のふみ

ナショナリズムとデザイン

2006-04-24 06:05:31 | Book
ニッポンプロダクト
カラー写真満載のちょっとレトロな人のココロくすぐるラインナップの商品デザイン解説書。掲載されるいくつかの商品にココロをつかまれ買ってしまいました。3000円。
ニッポン・プロダクト―デザイナーの証言、50年!

美術出版社

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前書きにGKデザイン機構会長が寄せた言葉によれば、日本人は元来ものづくりに長けている、そしてゼロ戦、隼をつくった日本人だから進駐軍にあるものを作れないはずはない。このように考え当時コピーと揶揄はされたが、日本なりのデザインが始まったとする。そして60年のときを経てみれば日本のデザインは世界に冠たるものとなった。これは日本の伝統文化がデザインに反映され世界に評価されたものとする。結びには日本のインダストリアルデザインは新たな挑戦期にはいったとして、ここで生きてくるのが日本の数百年続いてきた質素の美学や、優しい自然との共生思想、ものに心ありといった有史以来のアニミズム信仰が大きな影響を持つことは必至とする。これらの言葉をみるとすこし首を傾げたくもなるが、ものづくりにかかわり日本を発展成長させたという自負が言わせることだと素直に捉えたい。
 
 しかし個人的な発言としてではなく、社会的なものとして考えていくときにはそこに存在するナショナリズムに関心が向く。本書のあとがきには別の人物が言葉を寄せているのだが(日本産業デザイン振興会理事Gマーク事業部長)この人は日本のデザインの発展には、ふたたび負けたくはないというはっきりとした敗戦国日本のナショナリズムが起爆剤になったと記述している。現在、デザインという言葉を抽象的に捉えれば一見温度の低いクールなものと感じられるが、デザインという言葉にいったん創出する人の存在を見つけるとナショナリズムと急速に近しいものとなるようである。それは日本の商品デザインの確立期というのが1965年から67年という時期であろうということとも関係がありそうである。1964年は東京でオリンピックが開かれた年である。そしてこの時期にすでに国民に浸透し主要なメディアとして捉えられたテレビが速度を増して白黒からカラー化された。カラー化されたメディアによって国民に提供された商品情報は国民の購買意欲を増大させるものであったであろう。またその意欲に反応する形で商品は生み出されたといえる。そのときに重要視されたのがCMの視覚的効果と、さらに商品自体のそれ、つまりデザインの洗練、より消費者に訴えかけるデザインというコンセプトが、ひとつの確立期を見た、このようにいえるだろう。

 デザインされることは消費されることを前提としている。戦後日本のこの状態を増強していくきっかけが世界的イベントであるオリンピックにあったことは興味深い。先の大戦につながる流れは近代オリンピックがはじまってからの期間と苦しくも重なっている。

オリンピック憲章で目指されたものはスポーツを通した民族を超えた人類の共存であり平和であったが、メディアとしてのオリンピックで見えてきたものは国威の発揚でありナショナリズムの強化であった。
日本は二つの大戦を経たあと、参加を許されなかった大会がありそのご国際社会に復帰し1964年に第十八回オリンピックを東京で開くまでになった。戦後約20年、このときのオリンピックで日本社会はどのような空気を作ったであろうか。2004年に東京オリンピック40周年ということで市川昆監督の映画東京オリンピックが再編集され販売された。映画自体はスポーツ選手の躍動感を余すところなく伝える、表現として優れたものであるのはいうまでもないが各競技の勝敗を丹念に追っていくという競技記録的な側面は少なかった。映画全体で伝えようとしているメッセージは、オリンピック憲章にもとづいたナレーションで理解できるもので、とくに平和ということを強調している。
 その一方で、映画の始まりには日の丸のメタファーである朝陽が昇る映像があり、終わりにも同じものが挿入される。そして中には君が代が演奏されると立ち上がる観覧に来ている裕仁天皇そして国民の映像が挿入されている。また競技を観覧するカットに一般市民のものとともに、皇室の人の映像が挿入される。アキヒト皇太子、美智子さん、まだ幼かったヒロノミヤ君。これらには 平和を強く意識させるメッセージがある一方、皇室を中心とするナショナリズムを強化する意図が感じられなくもない。すこし見方を変えれば皇室の人の観覧姿のカットは日本国憲法に忠実な形を表し平和をさらに強く訴えたということもできなくはない。
 
 日本国憲法の第一章は天皇であり、第一条にあるのは、天皇は日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する国民の総意に基づくというものである。市川昆が現したのはこのことだったかもしれない。
 しかしなんにせよ、オリンピックそのものというよりも“イメージとしてのオリンピック”として作られた映画を見た国民は競技そのものを感じるよりも、皇室の映像に国家としてのシンパシーを感じることがつよかったことは疑いがないであろう。この映画が公開されたのはオリンピック翌年の三月であり、延べ1800万人がみるという大成功となっている。オリンピックが終わってまだ半年もたたないうちに少なくないものたちがこの作品を見たことは大きな意味を持っているように思える。
 
 テレビのカラー化を進めた東京オリンピック、カラー化された広告によって売られる商品、洗練されるデザイン。このように考えてみるとデザインの本に寄せられた言葉の中にナショナリズムが強調されていることは必然なのかもしれない。
タイトルにある“ニッポン”についた小さな○もその表れなのだろう。


                      JOHNY

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