【 平家物語 知章最後その2 】
父:知盛をかばって知章は戦い、身代わりとなって討ち死にしました。
知盛は、名馬に乗っていたので海上を二十余町泳がせ宗盛の船にたどりついた。船には馬を乗せる余地がなかったので渚へ追い返した。馬は、主人との別れを惜しんでいたが、船の方を振り返り二、三度いなないて陸に上がった。この馬は、もとは院の秘蔵の名馬であった。
新中納言は、大臣(平家の棟梁:宗盛)の前に来て
「知章に先だたれ、太郎も討たれた。どこの親が子が討たれるのを助けずに逃げるでしょう。わが身のこととなると命は惜しいものと思い知らされました。しかし、本当にはずかしいことです」さめざめと泣かれた。大臣はこれを聞いて
「武蔵守知章が、父の命にかわられたのはけなげなことだ。腕もきき、心も剛毅で、よい大将軍であられた人なのに、息子:清宗と同じ年の十六であったな」
その座に居並んでいた平家の侍たちは、みな鎧の袖をぬらしたのであった。
父:知盛をかばって知章は戦い、身代わりとなって討ち死にしました。
知盛は、名馬に乗っていたので海上を二十余町泳がせ宗盛の船にたどりついた。船には馬を乗せる余地がなかったので渚へ追い返した。馬は、主人との別れを惜しんでいたが、船の方を振り返り二、三度いなないて陸に上がった。この馬は、もとは院の秘蔵の名馬であった。
新中納言は、大臣(平家の棟梁:宗盛)の前に来て
「知章に先だたれ、太郎も討たれた。どこの親が子が討たれるのを助けずに逃げるでしょう。わが身のこととなると命は惜しいものと思い知らされました。しかし、本当にはずかしいことです」さめざめと泣かれた。大臣はこれを聞いて
「武蔵守知章が、父の命にかわられたのはけなげなことだ。腕もきき、心も剛毅で、よい大将軍であられた人なのに、息子:清宗と同じ年の十六であったな」
その座に居並んでいた平家の侍たちは、みな鎧の袖をぬらしたのであった。
それに比べて今の時代は・・・
私の生徒を見ていると、「携帯が命」という感じですよ。
又、そうだと思います。
知盛はその息子に命を助けられたのですから知盛の気持ちは如何ばかりだったでしょうね?・・・
ここで話題にあげられている「同じ年の清宗」も、翌年近江で首を刎ねられています。
私の住む隣の市にお墓があります。
ちょっと寒い一日でした。
訪問とコメントありがとう。
源平合戦では、16~7歳の年の若者が多く死んでいますね。第二次大戦時、国のためにと若者が特攻隊などで死んでいきました。戦いとなるとやむをえぬことですが。
戦争の無い今の日本では、ケイタイが命ですか。しかし、いったん戦争が始まるとこのような若者が、国のため家族のため恋人のために戦いに志願して行く人も沢山いるのではないですか。
清宗は、敦盛や知章ほど有名ではないですが、お墓があるのですか。宗盛の息子ですね。