大河ドラマ「八重の桜」の史跡を訪ねてみたくなって、会津若松に行きました。
「八重の桜」に出てくる史跡を調べていると義経に関係する史跡があるのがわかり、それならと訪ねてみました。地図では、田んぼの真中にあって交通の便が悪いため、タクシーで寄り、そのまま日新館(会津藩の藩校)まで行きました。
そこには、義経と初恋の人との悲しい別れの話がありました。
京都にいた義経は、平家打倒のために、鬼一法眼の兵法書を学ぶために、鬼一法眼の義理の娘皆鶴姫に近づき恋仲になり、義経は兵法書をひそかに写し取ることに成功しますが、平清盛に気づかれ奥州へ逃げます。姫は、義経の後を慕って京都を旅立ってから40余日後にこの会津の藤倉まで来ますが、義経の行方は全く解らず途方にくれ、その顔を池に写すとあまりにやつれた姿に驚き、池に身を投げてしまいます。
皆鶴姫18歳の時です。
従僕達は嘆き悲しみ、池の畔に墓を建てました。
皆鶴姫は、こんな悲しみを多くの女性が味わわないように、参拝した女性に良縁を授けると言われています。
福島県会津若松市河東町倉橋字藤倉 (地図)
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今までの大河ドラマの登場人物ゆかりの史跡がたくさんあるようですね。
私の追いかけている義経さまを慕っていた姫の史跡もあるとは。。。
いつか機会を作って訪ねてみたいです!
訪問とコメントありがとうございます。
こんな所にも義経史跡があるのに驚きました。
平泉に行くには通り道なんで納得です。
こんなところまで追っかけてこられる義経は
どんだけもてたのでしょう。
この史跡は、タクシーで行くしかなかったです。