2 コメント コメント日が 古い順 | 新しい順 Unknown (しずか) 2017-05-18 11:07:40 ラメールさん、三島の旅もお疲れ様でした。早速アップされたのですね。ここは懐かしいところです。かれこれ12年になるかな?この石の高さの違いが、二人の関係を物語っているような・・・頼朝は、義経を弟としてはなく、単なる家臣の一人として考えていた。このずれが後の悲劇を招いたのでしょう。 返信する Unknown (ラメール) 2017-05-18 12:09:46 こんなところまで訪問ありがとうございます。源平ブログもネタ切れでほとんど更新していなかったので、今回は、思い切って三島の頼朝史跡を訪ねました。なるほど、頼朝にとって義経は、たんなる家臣だったのですか。この説をとれば後の義経の末路が理解できます。 返信する 規約違反等の連絡 コメントを投稿 goo blogにログインしてコメントを投稿すると、コメントに対する返信があった場合に通知が届きます。 ※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます 名前 タイトル URL ※名前とURLを記憶する コメント ※絵文字はJavaScriptが有効な環境でのみご利用いただけます。 ▼ 絵文字を表示 携帯絵文字 リスト1 リスト2 リスト3 リスト4 リスト5 ユーザー作品 ▲ 閉じる コメント利用規約に同意の上コメント投稿を行ってください。 コメント利用規約に同意する 数字4桁を入力し、投稿ボタンを押してください。 コメントを投稿する
早速アップされたのですね。
ここは懐かしいところです。
かれこれ12年になるかな?
この石の高さの違いが、二人の関係を物語っているような・・・
頼朝は、義経を弟としてはなく、単なる家臣の一人として考えていた。このずれが後の悲劇を招いたのでしょう。
源平ブログもネタ切れでほとんど更新していなかったので、
今回は、思い切って三島の頼朝史跡を訪ねました。
なるほど、頼朝にとって義経は、たんなる家臣だったのですか。
この説をとれば後の義経の末路が理解できます。