光源氏は、後見を任されている東宮の地位も危ういと考え、京を離れる寂しさや紫の上への思いを心にもったまま数人の友とともに須磨に行き、ひっそりと暮らす。
光源氏が住んでいた場所が源氏寺とされています。
源氏寺(現光寺)は、兵庫県神戸市須磨区にあります。【地図】
「おはすべき所は 行平の中納言の藻潮たれつつわびける家居近きわたりなりけり 海面はやや入りてあはれにすごけなお山なかなり」
(源氏物語の一節より)
源氏寺の碑
源氏寺全景
現光寺が本名で、通称:源氏寺と言われています。
源氏寺から南を見た風景で100mくらいの間に山陽電車、国道2号線、JRが走った交通の要となっています。左の石垣が源氏寺です。
源氏寺から南へ300Mほど行ったところは埋め立てられた海岸で、今では、海水浴場になっています。
源氏寺の北側は、平安時代は山であったが、今は、住宅地です。600Mほど行くと須磨寺があります。
紫式部が須磨の地を想像して書いた「海が入り込み、すごい山の中」と言う雰囲気は今は全くありませんが、海はすぐ近くで、山の中と言う表現は、平安時代ではそうであっただろうと思われる土地柄です。
近くには、義経が平家軍を攻めた鵯越の坂落しの場所や一の谷の合戦場があります。
光源氏が住んでいた場所が源氏寺とされています。
源氏寺(現光寺)は、兵庫県神戸市須磨区にあります。【地図】
「おはすべき所は 行平の中納言の藻潮たれつつわびける家居近きわたりなりけり 海面はやや入りてあはれにすごけなお山なかなり」
(源氏物語の一節より)
源氏寺の碑
源氏寺全景
現光寺が本名で、通称:源氏寺と言われています。
源氏寺から南を見た風景で100mくらいの間に山陽電車、国道2号線、JRが走った交通の要となっています。左の石垣が源氏寺です。
源氏寺から南へ300Mほど行ったところは埋め立てられた海岸で、今では、海水浴場になっています。
源氏寺の北側は、平安時代は山であったが、今は、住宅地です。600Mほど行くと須磨寺があります。
紫式部が須磨の地を想像して書いた「海が入り込み、すごい山の中」と言う雰囲気は今は全くありませんが、海はすぐ近くで、山の中と言う表現は、平安時代ではそうであっただろうと思われる土地柄です。
近くには、義経が平家軍を攻めた鵯越の坂落しの場所や一の谷の合戦場があります。