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源平の史跡を訪ねて

全国いたるところにある源氏と平家の史跡を訪ねています。少しだけ源氏物語の史跡も紹介しています。

浅草寺(せんそうじ)(東京都台東区)

2012-04-25 02:07:50 | 源平の史跡

1180年(治承4)、源頼朝は平家追討に向かうため、浅草の石浜に軍勢を揃えた際、浅草寺に参詣して戦勝を祈った。やがて鎌倉に幕府を開いた後も信仰を寄せた。鎌倉八幡宮造営に際しては、浅草から宮大工を呼んでいる。
徳川家康の信任もあつく、寺領500石をもらっています。今では、都内最古の寺院である浅草寺は、「浅草観音」の名称で全国的にあらゆる階層の人達に親しまれ、年間約3000万人もの参詣者がおとずれる、民衆信仰の中心地となっている。
(参考資料:浅草寺説明板より)

住所:東京都台東区浅草2-3-1

『浅草寺縁起』等にみえる伝承によると、浅草寺の草創の由来は以下のとおりである。628年(推古天皇36年)、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の網にかかった仏像があった。これが浅草寺本尊の聖観音(しょうかんのん)像である。この像を拝した兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも)は出家し、自宅を寺に改めて供養した。これが浅草寺の始まりという。観音像は高さ1寸8分(約5.5センチ)の金色の像であると言われるが公開されることのない秘仏のため、その実体は不明である。
(参考資料:浅草寺説明板 ウィキペディア)

雷門
門左右に、風神、雷神の像が安置されています。


      

       金龍山浅草寺               雷門裏側
                          天竜、金竜の像が安置された
 


伝法院


 


仲見世通り
 

 

平和地蔵
 

 

久米平内堂




宝蔵門
浅草寺の宝物の収蔵庫になっているため宝蔵門と名付けられました。
 

 

五重塔
基壇の高さ約5メートル、塔自体の高さは約48メートルである。

 

二天門




 

本堂

参拝の仕方

 

境内案内図

路地裏(右の建物が仲見世の裏です)

 

境内から東京スカイツリーが見えます。


 


浅草寺HPは こちらから

 

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隅田川神社(東京都墨田区)

2012-04-22 00:01:23 | 源平の史跡

4月11日に隅田川神社に行きました。桜満開で隅田川公園は、桜と東京スカイツリー見物で大変なにぎわいでした。

この神社の創建については不詳であるが、言い伝えによれば源頼朝が創建したものと伝えられる。

もとの名を浮島神社といい、古くは水神社、水神宮、浮島宮などとも呼ばれ、「水神さん」として親しまれてきた。1872年、現社名に改名した。地域の鎮守神であるとともに隅田川一帯の守り神でもあり、水運業者や船宿など、川で働く人たちの信仰を集めたほか、「水神」の名から水商売の人々にも信仰された。
(参考資料:ウィキペディア)

住所:東京都墨田区堤通2-17-1

 本殿
 


      鳥居                神社全景
 

 

神社由緒







       参拝                   境内
 


   神楽殿  隅田川に面していた鳥居、壁で遮られています。
 

 

第一の鳥居(建物の間を通って神社に行きます)

 

 

上の鳥居から入ると桜参道でスカイツリーはここからしか見えません
        



 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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石浜神社(東京都荒川区)

2012-04-20 12:40:27 | 源平の史跡

当社は、聖武天皇の神亀元年(724)9月11日、勅願によって鎮座され、以来1280年余の歴史を持っています。祭神は、天照大御神。

住所:東京都荒川区南千住3-28-58

1189年(文治5)、源頼朝の奥州藤原泰衡征討に際して祈願し、勝利したので神恩に報いるために社殿を寄進しました。

弘安4年(1281)、蒙古襲来の折、必勝を祈念して、鎌倉将軍家お取り次ぎによる官幣(かんぺい:天皇から神に捧げる礼物)のご奉納などを経て、中世初めには大社としての発展を見ました。殊に、千葉氏、宇都宮氏などの関東武将の信仰は篤く、関八州よりの多くの参詣者は、伊勢参宮にかえて当社に詣で、おはらいを受けました。
また、隅田河畔の名所として江戸庶民の信仰厚く、隆昌をみました。
(参考資料:石浜神社HPより)


本殿

 

 

 左:招来稲荷神社(おいでいなりじんじゃ)
 ご祭神は、豊受姫神、真先稲荷の奥宮としてまつられました。

中:白狐祠(ほこら)
 江戸後期、招来稲荷社繁栄の頃の狐に関する伝えは、この祠にちなむものです。

右:富士遙拝所
 
宝暦8年(1758)の建立。当時普及を見た富士信仰・講の記念の一つです。

 

亀田鵬斎詩碑(中央の石碑  荒川区指定文化財)
碑面には、江戸は下町の名物儒学者鵬斎73歳の折の作、隅田川の詩2首が刻まれています。石浜城や頼朝、道灌の歴史のあとを切々と偲ぶ名詩です。

都鳥歌碑(右の石碑)
歌人業平(なりひら)が、はるばる大川のほとりに流れ来て、川面(かわも)の都鳥を目にした時の望郷の思いを綴ったという『伊勢物語、東下り』の一節が記されています。建立は文化2年(1805)です。
「名にし負はば いさこととはん 都鳥 わが思ふ人は ありやなしやと」




沢山の石碑がありますが、よくわかりません。 
 

 

ここからも東京スカイツリーがよく見えます。

 

 
石浜神社HPはこちらから 

 

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牛島神社(東京都墨田区)

2012-04-17 03:43:25 | 源平の史跡

東京に行く機会がありましたので、東京スカイツリー見物とその近くの源氏に関係のある史跡(牛島神社、石浜神社、隅田川神社,浅草寺)を訪ねてました。まず、最初は、スカイツリーのすぐ近くにある牛島神社に行きました。

 住所:東京都墨田区向島1-4-5

1180年(治承4)、伊豆で挙兵した源頼朝が、敗れて房州に逃れ、再度、隅田川を渡る際に豪雨のため渡ることができなかった。その時、千葉介常胤(ちばのすけ つねたね)が当社に祈願して船を用意して大軍無事、川を渡たることができました。頼朝は感じ入り、1181年(養和元)、社領を寄付しました。以後、千葉氏の崇敬が厚く、宝物として月輪の紋をつけた千葉家の旗が伝わっています。
※千葉介常胤は、平安末期から鎌倉初期の武将で、千葉家を大大名にした人物で、源頼朝の信任があつかった。

神社にある「なで牛」には、身体の悪いところと同じ牛の部位を撫でると病気が直るという言い伝えがあります。

牛島神社鳥居から東京スカイツリーが見えます。

 

本殿(三輪鳥居)

由緒


 

撫で牛

 

包丁塚と小梅神社
 

 

牛島神社から見た東京スカイツリー

 

 

 

 

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平家武将:妹尾太郎兼康

2006-06-08 20:48:13 | 源平の史跡

岡山駅から吉備線に乗って四つ目吉備津駅下車約10分のところに妹尾太郎兼康の墓があります。
兼康公は、この地方の豪族で清盛の信頼を受け平家の侍大将として1183年(寿永2)10月12日に木曾義仲の軍勢と戦い討たれた平家の武将です。
(現地からモブログでアップしました)