1180年(治承4)、源頼朝は平家追討に向かうため、浅草の石浜に軍勢を揃えた際、浅草寺に参詣して戦勝を祈った。やがて鎌倉に幕府を開いた後も信仰を寄せた。鎌倉八幡宮造営に際しては、浅草から宮大工を呼んでいる。
徳川家康の信任もあつく、寺領500石をもらっています。今では、都内最古の寺院である浅草寺は、「浅草観音」の名称で全国的にあらゆる階層の人達に親しまれ、年間約3000万人もの参詣者がおとずれる、民衆信仰の中心地となっている。
(参考資料:浅草寺説明板より)
住所:東京都台東区浅草2-3-1
『浅草寺縁起』等にみえる伝承によると、浅草寺の草創の由来は以下のとおりである。628年(推古天皇36年)、宮戸川(現・隅田川)で漁をしていた檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の網にかかった仏像があった。これが浅草寺本尊の聖観音(しょうかんのん)像である。この像を拝した兄弟の主人・土師中知(はじのなかとも)は出家し、自宅を寺に改めて供養した。これが浅草寺の始まりという。観音像は高さ1寸8分(約5.5センチ)の金色の像であると言われるが公開されることのない秘仏のため、その実体は不明である。
(参考資料:浅草寺説明板 ウィキペディア)
雷門
門左右に、風神、雷神の像が安置されています。
金龍山浅草寺 雷門裏側
天竜、金竜の像が安置された
伝法院
仲見世通り
平和地蔵
久米平内堂
宝蔵門
浅草寺の宝物の収蔵庫になっているため宝蔵門と名付けられました。
五重塔
基壇の高さ約5メートル、塔自体の高さは約48メートルである。
二天門
本堂
参拝の仕方
境内案内図
路地裏(右の建物が仲見世の裏です)
境内から東京スカイツリーが見えます。
浅草寺HPは こちらから
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私も何回か行ってますが、物見遊山的な歩き方しかしてないので、ほとんど知らない場所が多いです。
頼朝や家康とのつながりも深いということも、初めて知りました。