死が待つ幼い命に差し伸べる手
2018年6月12日
ブログ「子を虐待死させた親は死刑に相当」(6月7日)を書いたところ、たくさんの方々からコメントが寄せられました。寄せられるコメントが通常、少ない私のブログにとっては、異例の多さです。「涙が止まりません。なぜ救えなかったのか」、「この親は悪魔。極刑賛成」など、怒りの意見が目立ちました。
その一方で、死が待っているかもしれない幼い命を救う活動をしているグループがいくつもあります。赤ちゃんを育てられないという夫婦が増えていれば、妊娠したくても妊娠できないという夫婦も増えているのです。その細い糸を結びつけるマッチング(斡旋)の実例を後ほど紹介してみたいと思います。
虐待死の犠牲者は5歳の女児(東京都目黒区))で、両親は保護責任者遺棄致死容疑で逮捕されました。コメントを読んでみましょう。「むごすぎる事件だ。親は悪魔、虐待を掌握しながら児童相談所、警察は何をしていたのか」、「結愛(ゆあ)ちゃんの辛かった毎日を思うと、涙が止まらない」(真冬にベランダに放置)、「保護責任者遺棄致死というけれども、実態は継続的な暴力による殺人そのものだ」。
まだ続きます。「男の私でも涙が出ました。死刑、終身刑に賛成です」、「あのように小さな子がどんな思いでノートを綴ったのか、想像を超える苦しみだっただろう」(ノートにはパパ、ママゆるして)、「子供が受けたのと同じ体罰を親に課し、いかに罪の重いことをしたのか自覚させてほしい。幼児への虐待死は大人の殺人より刑を重くすべきだ」。
子育てが難しくなった背景
怒りの声があふれる中で、「二度と事件を繰り返さないためには、事件の背景、両親の育った環境などを公にし、何が根本的な原因なのか明らかにしてほしい」(夕食は茶わん半分の米だけ)、「児童虐待は刑が軽すぎる。日本の法曹界の考え方を聞きたい」という指摘もありました。
確かに極刑を課すだけでは、同様の事件を防止できないでしょう。残される子がいた場合、親が極刑にされたら、引き取る人はいるのでしょうか。今回の場合も、一人の子が残されることになりました。どうするのか心配です。
「虐待死ばかりでなく、自分の子供の心を殺す親は少なくない。そうして育てられた子が社会に順応できず、自分や他人を傷つけてしまうことが少なくない」。最近、新幹線で起きた22歳の無職男性の殺傷事件も、学校生活、社会生活からどこかで脱落し、動機不明の「むしゃくしゃしてやった」事件になったのでしょう。
小さな努力をひとつづつ積み重ねて行くほかありません。その一つが、経済的、家庭的に育児を断念せざるを得ない親から赤ちゃんを引き取り、赤ちゃんに恵まれない夫婦に養育を委ねる「特別養子縁組」制度です。実親との関係がなくなる点で普通養子縁組とは違います。里親制度は、実親(生みの親)の生活が安定するまで一時的に子供を預かる制度です。これとも違います。
児童相談所が橋渡しするほか、ボランティアのNPO法人15団体が児相や産婦人科と連絡をとり、マッチングを呼び掛けています。引き取った養親の育てぶりを児相の職員がチェックにきます。法的な問題が起きないように家裁の裁判官との面接もあります。赤ちゃん売買にならないよう、養親が払う費用は実費と団体への寄付金で、謝礼に大金が必要ということはありません。
養子の育て方に豊富な経験
経験者から聞いた話はこうです。誕生直後に養親が引き取り、育てるのが理想的だそうです。年数が経ってしまうと、すでに虐待などを受け、精神に傷を負っているかもしれないからです。養親の住む最寄りの駅まで、団体の方が赤ちゃんを抱いて連れてきます。
その駅には、団体の世話になった養親、そこで育てられた子供たちのグループ何組かが集まり、拍手で到着した赤ちゃんを迎えます。養親はお子さんたちに「あなたもこうして迎えられた」と、教えるそうです。物心ついてから、実親でないことで悩まないように、「同じような境遇の子供はあなたばかりではない」と諭すと、安心するそうです。
ある団体では、時折、世話した何十組かに集まってもらい、研修会、パーティをして、悩みを語りあうともに、励ましあう機会にしています。同じ沿線に住むカップルは親子連れで、動物園やハイキングに行きます。実親でない養親に育てられている仲間と友情を深めるためです。
子供が成長するにつれ、顔の形が似ていない、血液型が一致しないなどに疑問を持ち始め、「今の父母は実の親でない」ことを告げなければならない時が来ます。突然、告知すると、ふさぎ込みかねません。これはその子にとって、重大な問題です。その子の心が傷つかないよう、この団体ではこれまでの経験を子育てに生かしているのそうです。
幼い生命を救うには、こうした細かい配慮も欠かせません。日本で成立した特別養子縁組は年500件程度です。米国では年12万件といいます。多民族国家、開放的な社会、養子に対する理解の寛大さなどが背景にあるのでしょう。日本の場合は、知名度が少ないうえ、養育断念を訴え出ることをためらいがちなせいでしょうか。
ニュースを見るたびに涙が止まりません。
死刑以外思いつきません。
罪人に罰を与える回路は同じものなのですね
罪人は罰を受けるべきと思う人が家庭内のルールを守れなかった子供にするのが虐待
実際、そんな簡単に法律は変わりません。
冷静になれば関係ないです。
最後は『精神鑑定』ですよ。
自分の身近で起きれば別ですが…。
と考えていましたが、実際その子には当然罪は無いと思いますが、船戸家でどう教えられて育ったかは知りませんが、自分と同じ位の小さい子どもが殴られたり、ベランダに出されたり、いつも「独りぼっち」でいたにも関わらず、「泣く」事もしない。
更にはその子抜きで外食に行ってもふつうにごはん食べられる様な、そんな「血も涙も無い」ガキならば、船戸夫婦が死刑で等で死んでも、誰かにぶっ殺されてでも、「施設」に預けたり「里親」などでもいいと思います。
同情は出来ません。
大体そんな親が「遺棄致死」で3年で釈放?
ふざけんな!!!(怒)
そんな奴らが出てきたら、この件で憎しみを抱いてる人間からぶっ殺されるぞ?
また事件が起こるぞ!!!
結愛ちゃんみたいな立場的にも弱い「子ども」は見捨てるくせに人殺しの親(大人)には寛大だな?
警察の奴ら。いや。国が決めた法律か?
この国は絶対に間違っている!!!(怒)
大体そんな奴らが更正したって「なぶり殺し」にされた結愛ちゃんは生き返りはしない!!!
そんかくそゴミ人間がこれから先、この国で生きていけると思っているのか?
そう思います。
例え周りの奴らがこいつら「生きてる価値もねえゴミくず人間」を許しても、例え周りの奴らがこの最低最悪な事件を忘れたとしても、オレはこいつらが結愛ちゃんをなぶり殺したことは絶対に許さないし、絶対に忘れない!!!
船戸雄大は「人間」じゃない。「悪魔」だ!!!
例え何があったとしても、何故そんな小さなこどもを拳で殴る事が出来るのか。
家の中でも結愛ちゃん以外の三人はいつも一緒なのにいつも独りぼっちでいた結愛ちゃん。
妻や一歳の息子とは一緒にごはんを食べに行くのに結愛ちゃんはその間も家で独り!
しかも真冬なのに暖房も無い、電灯も無い部屋に!!!
最後はただ独りぼっちで寝ていた結愛ちゃんをに真冬なのに水のシャワーを浴びせ何発も殴り、終いには首を左右に振った結愛ちゃんを更に殴るなんて・・・人間のする事では無い!!!
有り得ねえ!!!オレが近くにかいたら殴り殺しているかもしれない!!!(怒)
船戸優里も、昔は結愛ちゃん共に『大好き』と言っていたにも関わらず「船戸雄大」と言う悪魔に心を支配されたのか。
ご飯もまともに与えないのは勿論。寝たきりになり、『ママ、もうごはん食べられないよ』と最期の力を振り絞って出したSOSすら無視して病院に連れていかなかった!!!
実の愛娘であるにも関わらず!!!
二人とも最低のゴミくず人間だ!!!
生きてる価値もねえ!!!(怒)
船戸雄大は即、死刑にすべきだし船戸優里ならせめて牢屋で、結愛ちゃんと同じ位の量だけ食べさせて餓死させればいい!
そうすれば少しは結愛ちゃんの気持ちも分かるはずだと思います!!!
直接殺したのはこの二人だけどオレはこの件に関わった「警察官」(検事?)や児童相談所の奴らも絶対に救えたはずなのに救わなかったから絶対に許さねえ!!!(怒)
香川の児童相談所の奴らは何故「じいじやばあば」とも会わせなくなり、東京に行くと知っていたのに何故「指導措置」を解除なんてしやがった?
結果、品川の事相は『緊急じゃないと思っていた』なんて抜かしやがるし!!!(怒)
そもそも2017年に、2度目の事相から帰った結愛ちゃんが「パパにたたかれた。ママもいた」と言っていたにも関わらず何故再度保護しなかった?(怒)
品川の事相も何故そんなくそ親の機嫌ばかりとり、『いない』と言われたからとて近隣住人に話を聞く事さえしなかった?
そうすればもっと踏み込めたはずだ!!!(怒)
警察官。検事?かよく分からないが何故一度「虐待」で捕まえた人間が一月後にはまた同じ容疑で捕まえたにも関わらず何故無罪で釈放なんかしやがった?
こいつらがもしも例え一年でも捕まえておけば結愛ちゃんは小学校にも行ける!
助けも呼べる環境に入れたはずなのに!!!
オレはこいつらも絶対に許さねえ!!!(怒)
どいつもこいつも「思いやり」がねえんだ!!!(怒)
この思いやりの無い「時代」が!
この時代を作ってきた俺ら「大人」全員が悪いんだ!!!
俺ら「大人」のせいで何の罪もない「子ども」達が死んでいってしまうんだ!!!
だからやれ、出来ちゃった婚は多いのに少子化になんてなるんだ!
だから俺ら「大人」一人一人がもっと「おもいやり」を持って、あまりにも尋常じゃない子ども達の悲鳴や「やめて」、「ゆるして」などの言葉が聴こえたら、すぐにでも警察に通報してほしいと思います!!!
俺ら大人が変わっていって、その背中を子ども達に見せていければそれがこれから先の世代に、未来に繋りこれから先は永遠に「世界中」で「虐待死0」にしていけると思います!!!
だから勿論。オレももっと、もっと「思いやり」を持てる人間になりますが、どうか皆さんにも「世界中」の人達から力を借りていきたいとそう切に願っています!!!
話を戻して、藤本羽月ちゃんの件などもそう。
あの子は何も悪くない!!!
悪いのは全てくそ親父とくそ母親だ!!!(怒)
「新井礼人くん」も然り!!
悪いのは全て、同居していたヤクザの男だ!!!(怒)
奴らにも「死」を!!!
こいつら以外にも沢山いやがる!!!(怒)
警察がこんな生きてる価値もねえゴミくず人間を庇うならオレがこんなゴミくず人間、ぶっ殺してえ位だ!!!(怒)
こんな事する奴らなんか何も怖くねえ!!!
ヤンキーだろうがヤクザだろうが全員ぶちのめしてやる!!!!!(怒)
・・・結愛ちゃん達、世界中で亡くなってしまった子達がせめて「天国」では幸せに過ごしている事を願います!!!!!
俺らは皆、一人一人が変わっていきましょう!!!
これから先を何十年と生きていくのは俺ら「大人」じゃない!
今の「子ども」達だ!!!
俺ら「大人」がこれから先を生きていく「子ども」達の未来を見守っていきましょう!!!
どうか皆さんも協力をよろしくお願いします!!!
長くなりましたがこれで失礼します。
遠い昔、発信者としての覚悟と矜持を語る中村さんを、眩しい思いで見上げていました。 心から尊敬申し上げます。
何故なら、子の成長・学び・将来について考えない親はいないだろう事も、これもまた確かであると思うからです。
例えで挙げます。
ゲームばかりをしている我が子・
多少の散らかしとは言えない「砂場で遊んできたわけでもないのに」自身の子供部屋に砂があちらこちらにある・
お菓子の空き袋に蟻が来てる(2階であるにも関わらず)
上記例、マナー・清潔感という教養上、明らかに問題があると大体の人であれば思うだろうと思います。
当然、時間配分について考える様教えたり、片付け・掃除の大切さについて教えたり、親としての責任上から教えると思います。
しかしある程度、物事について知ってからの状態で教えてもすぐに身に付くようにもなりません。
当然、それらについてメモする様促したり「どうすれば効率化が図れるか」といった形で理解度を把握したりもします。
如何です?この事件と似た風な「誤解されてしまう事柄」って子育てでは結構沢山あるんですよ?
誤解を基に死刑になさいますか?それらとの区別はどうなさいます?どの範囲までが適切であると思います?
それらへの言及・検討が他者が持つ「自由」を奪っているという事に気付かない人というのは既に理性的ではない思考だと思います。
この事件において怒りを持たない親は当然いません。
しかし激情のまま短絡的な判断で「事柄の範囲外」にまで言及する事、その範囲の過剰さをお伝えしているまでです。
我が子の未来に「不自由だらけの将来を残す判断かどうか」、そこすら考えないというのは如何なものでしょうか?
公立高のレベルは心身共に低下が見受けられる事柄は多々あり、
その原因・・・というより言い訳する側と言えばいいのか主張側は「親の要求が多い・厳しい」という抽象的な局所を挙げて、
確かにその通りかどうかを加味せず広範囲へ自重を促してしまう言い訳を大っぴらに謳い、結果的に成長鈍化に働きかけていたりがあります。
そういった「一事が万事」の道理で法を布こうと言うのも、これもまた問題のある考え方だと、そう思うという事です。
軽々な「権力への言及によって間接利用が範囲となるメディアの利用」これはいい加減自重を意識された方が良いという事でもあります。
インターネットという個々が公に大多数に訴えかける事が出来るようになった今の時代であるからこそ、その力の利用も自重されて然るべきであり、
その辺りの認識が乏しいらしき言及は避ける必要があるのでは?という事でもあります。
勿論、これを法的に働きかけようとするのも「他者の自由を奪う考え方」になる。
それら自身の発言の影響というのを多少は考えているのだろうか?強く疑問に思う
我が子に苦しい未来を残したいなどと思う親はいません。
ですので理性的な見解であってほしい、とこういう事です。
だから肯定も否定もしない、しかしコメント欄の「現実の・実行動上の経験に沿うていないのでは?」と感じた死刑賛成にはとても残念だと言っています。
刑罰は犯罪を抑止することを目的としているのであって、被害者の代わりに仇討ちをするためのものでもなければ、犯罪者を社会が集団リンチするためのものでもありません。
虐待を無くしたいなら「全ての体罰は悪である」と言う原則に立つべきであり、死刑も当然これに含まれます。
でなければ一定の確率で、親の要求するレベルが高く、子供の能力がそれ未満である場合があることから、しつけと称して体罰が行われる可能性は無くならず、それが頻発すればやがて死に至ります。
仮にその子が生き延びたにしても、やがて親となる時、自分の過去の記憶の曖昧さから誤って度を超えた体罰が起き、その孫世代を死なせる可能性が消えません。
体罰が認められるのは相手が暴力行為を行いこちらも暴力を使う以外に抑止する方法が認められない、つまり正当防衛の時だけが唯一の例外であり、
また死刑が認められるのは例えば銃乱射や自爆テロなど、その場で警官が射殺する以外に被害を防ぐ有効な抑止手段がない場合などごく限られたケースになります。
それ以外の死刑を認めることは体罰を認めることと同じですし、ましてや外野から死刑を増やすことを要求するのは自ら手を下し直接世間の非難を受けた今回の親よりも、政府という他人の手を使って殺人代行させようというのですから、より卑怯でさえあります。
「子を虐待死させたら死刑」
「子を育てられないなら里子に出す」
これらは、問題の対処療法です。
特に、「子の虐待死は死刑」というのは、感情的です。
あまりのむごさ、悲惨さを思うと、「親を死刑に!」と言いたくなります。
しかし、仮にも元新聞記者を名乗るのなら、感情を煽る記事を書くのではなく、事の真相・真因に迫る内容にして頂きたいところです。
なぜなら、現役の新聞記者ではないブログ主様は売上を気にする必要はないのですから、世論の感情に迎合せず、元新聞記者ならではの眼力を発揮して頂きたいのです。
今回の内容は、『子を虐待死させた親は死刑』から一歩離れた内容とも取れます。
不幸にも、事故や事件、自然災害で両親を失う子供はいます。母子家庭で母親が重病に罹ることもあるでしょう。
そのようなケースでは、特別養子縁組は有用な制度と思います。
ですが、ブログ主様が子供を中心に考えているのか、疑問に感じるところがありました。
例えば、アメリカで養子縁組が年間12万組もあるのは、良い事なのでしょうか。
人生80年とするなら、里子として育った人は1000万人にもなります。これは、アメリカ人の約3%です。
こんなに多くの人が里子に出されなければならない社会が、幸せな社会なのでしょうか。
冒頭で、「対処療法」と言わせて頂いたのは、「幸せな社会」あるいは「あるべき社会」の視点が欠けているように思ったからです。
原点に戻りますが、犯罪の少ない社会を作るために、『親業訓練講座』は案の一つになると思います。
もちろん、これだけで解決はしません。
ただ、「死刑だ!」とか「里子に」とか言うよりも、問題解決に近付けるように思えるのですが、いかがでしょうか。
弱者はか弱く、守るべき筈の立場の人が加害側となるなどという事態は、
之は有ってはならないと言っても大袈裟ではないと思うぐらい重大な事柄です。
ですが各々方のコメントを見返してほしい。
「その愛は愛として受け入れてもらえましたか?」と。
相手からの返答は既に望める筈も無い状況です。誠に悲しい事件である事を確認するばかりです。
ですが、「温情の余地も無し」は「死刑とすべきに値するのか?」という疑問を私は思うのです。
もしそうであると言うならば既に沢山の人が死刑とならねばならないだろうと思います。
私に限らず沢山の人が「許しがたい加害であっても無知や状況の噛み合わせなどといった不条理」を慮って、
耐えがたきであれど堪えて罪を憎まず、
成長の糧としての機会となればという希望を持ったりという慈愛に繋げていたりがあります。
見ず知らずの者同士でも、そうやって慈しむという道徳が自然と行われているからこそ、軋轢が少なくて済んでいる。
重ねて、死刑とすべきに値すべきが正論であるとするなら、既に沢山の人が死刑とされるべきであろうと思います。
この記事のタイトルを見て「肯定も否定も苦慮する他無い感情」を感じた私からすると、
安易に人の生死を断じる文言はとても心が苦しいと私は感じているからです。
軽々しく死を口にするなら「その発言者こそソレを当て嵌めるに適切な対象という事になるのでは?」とも思います。
望むなら誰かから同じ事を望まれても受け入れれなければならない、それも責の一つですので。
単に「この事件の犯行容疑者は死刑とすべきだ・いやそうすべきでない」といった簡単な範囲の記事であれば、
ここまで書く事も無かったと思います。
しかし法による短絡的な解決は、もっと残酷な行為を生む引き金にもなり得る。
長すぎですのでね、簡単に言います。
「それだけ他者を縛る事を望むなら、それを望んでいる当人が縛られるだけでいてください」という事。
本当に問題に対し重大に受け止めるなら沢山の要因を加味して熟考する事が、
虐待による望まざる死に至った人への哀悼となるのではないでしょうか?
それら自問自答で気付いてほしいと思います。
日本は、刑が軽すぎます。
法律を変えるべきです。
こういう事件が出るたびに、本当に胸が苦しく涙がでます。
民間の団体もピンキリです。
虐待する親は、その親から子供時代虐待をされていることがほとんどです。愛着障害という精神病です。親を死刑にしたところで、何も解決しません。刑が重くなったところで、抑止効果はありません。
この両親がどうなろうが、私には興味ないですが、自分には関係がない、親だけの責任にして社会全体の責任と思わないのはいかがなものか。みなさん勝手です。
虐待をしなければ死刑にならないのですよ?
何故?虐待する?見えない家の中で…
死刑を罰にしなければ無くならない問題です。
それでも無くならないかもしれません。見つかるわけないと思ってる虐待親!自分を選んで産まれてきてくれたかも知れないのに…
原則賛成ですが 今回は5歳の女児
これが16歳とかなら世論はこれほど盛り上がったのでしょうか?
5歳も16~18歳も子供 救える命をむざむざ犠牲にする様な事を防ぐ法律なりを整備することの方が大事では無いか?
児相に今より強制力にある権限を持たせ
面会の拒否など出来ない様にするとか 今現在命が危ない子供を優先して救わなければ また同じことの繰り返し
虐待した者への鉄槌はその後でも良いと思うが、 国会でもいつまでもモリカケやらずに 子供を守る議論をして頂きたい。
たくさんの子が虐待で深い傷を負い、死に至っています。昨年のクリスマスでは、4歳の子をサンドバッグにしなぶり殺しにした松本、大倉、筒井の3人は殺人ではなく傷害致死での逮捕でしたよね。身体が小さく弱い子供は助けを求ることもできないのに、そんな子供を大人が殴り続れば死ぬ可能性があると、誰もがわかるのに。この時点で殺人罪にすべきなのに。法律が理解できません。
子供は助けを求める術がない。弱い。
知恵を持ち経験を積み重ねてきた賢い大人達が、子供を守らなくてどうするのでしょうか。
お願いだから、法改正をしてほしい。
何の罪もない子供を守ってほしい。
子供の人権を無視する人間に、どんな人権がありますか。幼い子供に取り返しがつかないことをした人間に、改心のチャンスを与える必要があるのでしょうか。未来ある子供の命を奪った人間が生き残って何の社会的利益があるのでしょうか。
虐待事件は経緯を見るのではなく、結果を見て決めてほしい。障害なんかじゃない。
全部が、殺人未遂か殺人罪だ。
そうなると発言する事すら自重を促してしまう事にも繋がり、そういった色々への理解から私は「否定も肯定も無い」と言う他無い。
昨今の「過剰と思える見解」も「緩みすぎていると言う他無いと思う見解」も、それら全て「そう『他へ表現する直前』に『今、他へ明らかにしようとしているコレ』に問題は無いだろうか?」と自問自答するだけで大分マシな世の中に変わってくれる筈なんですがね。
法という形の死刑は必要とすべき事なのかどうか?法による死刑は何一つ根本的な解決に寄与しない方法でしかないのでは?と思います。
つまり「過剰な見解で法による死刑を求めるのは筋違いであると思う」という事です。
続けて言うなら、こういった筋違いな解釈による心への束縛が昨今の「ストレス社会」に寄与しているのでは?という風にも思います。
改めて「否定も肯定も無いと言う他無い」と言い、付け加え「だが同意しようという気にはならない」と申し上げます。
この記事をお書きになった主さんは、この「コメント欄の同意」は望んでいたコメントでしたか?
そう自問自答してほしいと思いました。
愛を連ねる前に公平性を示す事も大事である、その事を知っているのかどうか?と。
無知な人間なんで他にはよく分かりませんが特に「乳幼児への虐待死」は絶対に許せません!!!
そんな小さなこども達は親以外頼れるものが無いはずです!!!
警察は勿論。近隣の人に話せるわけも無い!!!
「弱いものいじめ」の最大級だし、しかもそれで死んでしまった子は絶対に浮かばれません!!!(怒)
結愛ちゃんの事もあの反省文を見ると本当に涙が出ます!!!
あれだけひどい目にあわされてもまだ、父親や母親に好かれようと一生懸命頑張っている!!!
ノアちゃんの父親もそうですがその父親にも幼い息子がいるみたいだから、死刑とはっきりは言えませんが・・・オレは法で許されるならその父親を何発でも殴りたい!!!(怒)
母親も一発でも殴りたい!!!(怒)
父親はもとより、母親もその父親の言いなりになって実の大切な娘を助けてやらなかった!!!(怒)
警察が嫌ならせめて、自分の両親にでも相談して引き取ってもらうべきだ!!!(怒)
これから警察や児相、周りの人達も変わっていくとは思いますが・・・勿論。俺自身も近くにそうゆう件を発見したら即、通報するように心がけますが!!!
それでもやっぱり、何の罪も無い子が亡くなってしまった!!!
オレは何も知らなかったとはいえ、そんなに苦しんでいる子を救ってやれなかった!という事実は変わりません!!!
だからせめて、せめてその子達は皆、「天国では幸せに生きている!」と信じます!!!
そしてもしも生まれ変わってまたこの世で生を受けた時は絶対に「暖かい家庭で愛されて生きてほしい!!!」と願います!!!
だから罪を最大限まで重くして、もう2度とこんな事が絶対に、絶対に起こらない事を願います!!!!!