ジネンカフェだより

真のノーマライゼーション社会を目指して…。平成19年から続いているジネンカフェの情報をお届けします。

ジネンカフェVOL.136レポート

2019-12-23 18:58:52 | Weblog
12月に入り、風が冷たくなってきた。もう今年も師走である。この時期、私は体調を崩しやすい。1年間の疲れがドッと押し寄せるのか、毎年この時期になると風邪を引き、咳が止まらなかったり、頬にヘルペスが出来たりする。要注意の季節である。さて、今月12月7日に行ったジネンカフェVOL.136のゲストは、プロの和太鼓奏者の青木崇晃さん。青木さんとの出逢いは今年の夏に遡る。一般社団法人oneness理事長・磯部和美さんをゲストにお迎えするにあたり、onenessが運営している南知多のカフェ海空に打ちあわせに行った際にお目にかかり、磯部さんから紹介されたのだ。和太鼓の演奏はプロだが、今後独立されてひとりでやって行くにはトークの勉強もしなければいけないということで、では一度ジネンカフェで肩慣らしならず、口慣らしは如何ですか…いう流れになった。お話のタイトルは『和太鼓を演奏する中で学んできたこと』

【青木崇晃さんとはどんな人?】
青木崇晃さんは愛知県豊田市出身。小学校5年生の時から和太鼓を演奏しているそうだ。青木さんが5年生の時、地元の太鼓集団と、後に所属することになるプロ和太鼓演奏集団・志多らとのコラボ公演がフォレストヒルズのプールの水上舞台であり、それをたまたま両親と観に行った青木少年はその演奏に魅せられたのだという。自分も演奏してみたいと思った青木さんは、先ずは地元の『松平和太鼓』というチームに入った。それまで習い事はピアノと水泳と習字を習っていたのだが、現在から思えば続けていればよかったと後悔しているものの、いずれも自分から習いたいと言い出したわけではなかったので、小学生でやめてしまった。しかし、太鼓は初めて自分から習いたいと思ったものだった。弟さんと共に高校生まで習っていたという。

【安定感のある道か、不安定な道か】
プロになるという意識はあまりなかったのだが、青木さんには太鼓を習い始めた頃から演奏者としての理想像のようなものがあった。青木さんがプロを目指そうと思ったのは高校卒業前のことだ。地元の大企業に就職すれば給料もそれなりにもらえて、食べるには困らないだろう。ても、自分の好きな和太鼓が続けられなくなるかも知れない…。不安定だけれど自分の好きな道に進むか、安定感抜群の将来を取るかで迷ったのだ。そうして青木さんは、不安定だけど自分のやりたい演奏者の道を選んだ。不安定な道は不安定だが、挫折するなら自分の好きなことをやって挫折した方が後悔がない。安定の道はそれから探しても遅くはないかな…そんな想いからだった。

【和太鼓プロ集団志多らへ】
和太鼓のプロ集団というのは、全国的にいくつかある。佐渡鹿島の鼓動、九州のドラム太鳳、地元の志多ら…。青木さんは幾つか見てきた中でも、やはり自分には志多らがよいなと思い、門戸を叩いたのであった。これは青木さんにしか解らないインスピレーションのようなもので、どこもプロ集団としてはそれぞれのカラーがあるのだが、青木さんから観た志多らは、土臭いけれどパフォーマンスでここまで表現力があるチームはないなと感じたという。技術が凄いというよりも聴いている人々の体に伝わって来るものがあり、耳で聴く、目で観る、そういう次元を越えて体で感じる…そういうところがより強いチームなのかなと思ったのだ。それほど複雑なことをしているのではないけれど、そのチーム自体のエネルギーが凄く伝わって来る。青木さんはそこに惹かれて志多らに所属することにしたのだという。

【地元愛と自分の夢との狭間で揺れ惑う】
青木さんは、実は高校を受験するとき、公立では地元の『松平高校』を、私立では『日本福祉大学付属高校』を受験しているのだが、どちらとも合格している。しかし結果的には小学校5年生から所属している『松平和太鼓』から離れたくなくて『松平高校』に進学したのだ。『日本福祉大付属高校』の和太鼓部も太鼓業界では有名で、高校の全国大会に行けるほどの強豪校である。青木さんはしかし、全国大会に行けるところに所属して太鼓を叩くのは自分の目指しているものではないと思えたのだ。地元が好きだったということもある。だから高校を卒業して『志多ら』に所属する時も、地元愛との狭間でこころが揺れたという。しかし、最終的には『志多ら』に入って演奏をし、太鼓の技術を向上させたい…という、自分の夢の方が勝った。

【志多らと寮生活】
プロの和太鼓集団はどこでもそうなのだが、『志多ら』も寮生活が基本だという。『志多ら』は独自の練習場を持っていて、その上と下の階にそれぞれ男子寮と女子寮がある。寮の生活は朝10キロのランニングから始まり、朝ご飯、掃除。午前中に筋力トレーニングをして、午後から太鼓の練習。それが夕方17:00まで続き、夕食後は自由に太鼓の練習…。こんなふうに太鼓漬けの日々なのだ。太鼓の演奏者には恵まれた環境で、太鼓に打ち込める環境にあった。青木さんは12年間『志多ら』に所属していたのだが、この寮に10年間暮らしていたという。

【30/750の志多ら舞い】
『志多ら』というチームは、プロ集団の中でも特徴的で愛知県東栄町を拠点にしているのだが、その東栄町の「花祭り」は750年前から伝わっていて、国の無形民族重要文化財に指定されている。その「花祭り」に『志多ら』のメンバーも住民の一員として参加させてもらうのだ。メンバーは東栄町に住民票を移動させているので、文字通りの住民として太鼓を叩き、舞いを踊るのである。750年も続いている「花祭り」に対して、『志多ら』は結成されてから30年にしかならない。それにも関わらず、一連の「花祭り」の演目の中に『志多ら舞い』が組み込んで貰えているのは大変なことで、そこで太鼓を演奏したり、舞えることが出来ていることを感謝しながら、青木さんは舞わせてもらったり、奉納させて貰っていたという。

【『志多ら』からの独立】
青木さんは、その地域に住まわせてもらって演奏していることを忘れてはいけないと日頃から思っている。『志多ら』には仲間もいたし、太鼓も必ずあったし、練習する場所もあった。太鼓を演奏する青木さんにとっては、この上もない環境で『志多ら』という団体は良い場所でもあった。しかし、それが当たり前になってはいけないなとも感じていた。独立してからはそれをしみじみと痛感しているという。呼んで来て貰わなければ仲間もいないし、太鼓も借りて来なければない…。でも、それは独立する前から解っていたことで、何もない状態が自分を育ててくれると思って、青木さんは今年の4月に『志多ら』から独立したのであった。

【独立して8ヶ月、これから基盤を整えてゆく感じ】
『志多ら』から独立して8ヶ月、太鼓を演奏する機会は4回。これだけでは食べていけないので、いろいろな手伝いをさせてもらって何とか生活して行けている。これから基盤を整えて行って、プロの和太鼓奏者として出発して行く感じだという。

【舞台に立って学んだこと】
青木さんは大太鼓をメインで演奏されているのだが、大太鼓という楽器は舞台上にひとつだけ置かれて、それにひとりで向かってゆくのだ。それでお客さんにどれだけ拍手が貰えるかと、いつも試されているような感じで舞台に立っているという。お客さんには背中を向けて最後に振り向くぐらいで顔は一切見せない。しかし、『志多ら』に所属して以来独立した現在まで十数年そういうことをしていると、背中を向けていてもお客さんがどうみているか感じられるようになってきたという。ここで拍手が来るだろうとか、計算しているわけではないが、雰囲気でそれとなく解る。空気が伝わって来るのだ。がむしゃらに太鼓と向きあってきて30年近く経ち、現在ではがむしゃらに打つだけではなくお客さんの雰囲気とか視線とかを感じられるようになつてきた。また、青木さんは太鼓という楽器は打つ場所、打つ力、打つひとによっても音色が変わる楽器だなと感じているという。それというのは結局その太鼓を打つ人の人生がエネルギーとなって、パワーとなってお客さんに伝わるのではないかと思っているそうだ。

【自分が成長してゆくためになにを磨いていけばよいのだろう?】
では、自分が成長してゆくためになにを磨いていけばよいのだろうと考えた時に、ただリズムワークを勉強するだけでよいのか? ただお客さんに黄色い声援を掛けられるような筋肉を付ければよいのか? リズムが打てればその人の人生がみえるのか? そうではないだろう。もちろん技術も必要だろうし、演奏者の姿勢もあるだろう。しかし青木さんは、根本的にはその演奏者がどんな人かというところに繋がって来るのではないかと思っているという。性格はひとりひとり違っていて、それのなにを磨けばよいのだろう? 太鼓だけを打っていればよいのかといえば、それも違うような気がしている。

【もっと広い世界を知り、いろいろな経験を重ねたい】
これが『志たら』から独立した理由なのだが、青木さんはもっと広い世界をみて、ひととしてもっと大きくなりたいと思ったのだ。いろいろな経験もしたい。今回のジネンカフェも青木さんの中では大きな経験なのだという。日頃から人前で話す機会なんてないに等しい。太鼓の公演には演奏の合間にMCが入ることもあるが、青木さんはMCを任されるタイプではなかったので、そういった経験ももっともっと重ねて行きたいそうだ。

【和太鼓は元々神の前で叩かれる楽器だった】
そうなのだ。青木さんが磨きたいのは、自分の人間性の部分なのだ。日本には世界に誇れる独自の文化がある。「花祭り」で『志多ら』が舞う神楽も「霜月神楽」と言い、11月から3月にかけて太陽の力が弱まった時期に大地のエネルギーを蘇らせる目的で舞われたものだが、そういう文化も現在廃れつつあるらしい。和太鼓も本来は神の前で叩かれる楽器で、「神様」という概念も世の中で薄くなってきている。目に見えない精神的な世界なので信じる、信じないは別にして、昔のひとがどんな想いで神楽を作り、舞ったりしたのか。それを想うと青木さんは現在の〈目に見えるものしか信じられない〉風潮がとても残念に思われるのだ。750年も前のことなので想像するしかないが、ゲームも野球もサッカーもラグビーも何もない時代に五穀豊穣や家内安全の祈りや、一年の感謝の気持ちを込めつつも娯楽として神楽が執り行われた。奇跡は人々のそういうエネルギーが集まって起きて来るのだろうと思うし、そんな文化が継承されてもっと膨らんで行けばよいと青木さんは思っているのだ。

【和太鼓とは大地のエネルギーを呼び起こす楽器】
青木さんは宮崎の高千穂の夜神楽にも参加されてきて、東栄町の「花祭り」によく似た精神性に触れて、大地や風土とかから恵みを受けつつ、それに対する感謝の想いをより強く感じる生活をされているのだなと感銘を受けたのだという。高千穂神楽は舞いが中心なのだが、太鼓も登場する。舞いは、大地のエネルギーを呼び起こし、そのバックに太鼓や笛が流れている。なので、やはり太鼓とはそのような楽器なのである。そんな和太鼓に立ち向かう自分も太鼓の音を通して、感謝の想いとか大地に漲るエネルギーを元気に変えて聴く人々に伝えられるとよいなあと思っていると青木さんはいう。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿