ジネンカフェだより

真のノーマライゼーション社会を目指して…。平成19年から続いているジネンカフェの情報をお届けします。

ジネンカフェVOL.123レポート

2018-05-22 09:26:54 | Weblog
これまで10月を除いて毎月一度開催してきたジネンカフェだが、100回目を越えたことでもあるし、今後はのんびりと行ってゆくことにしました。のんびりとはいっても、毎月開催が隔月開催になる程度で、8~11月にかけては臨機応変で二ヶ月続く時もあるかも知れません。つまり4月22日のジネンカフェ、VOL.123は毎月開催してきたジネンカフェの最後でして、そのゲストに福祉ラッパーとして活躍中のLot Falconさんをお迎えし、トーク&LIVEを行いました。Falcon氏は以前もトークのみでご登壇願ったわけですが、当時と現在とでは彼を取り巻く環境も、彼自身の境遇も変化していました。当日はラップワークショップやLIVEも行われたのですが、ここではトークのみをお届けすることにします。

【Lot Falconが生まれた街】
Lot Falconさんは、1990年愛知県小牧市生まれの27歳。小牧市は名古屋市の北、濃尾平野の真ん中辺りに位置している。農業や工業が盛んで大手企業の工場も多く、ブラジルやペルーなどからの外国人労働者も多い。そのためかどうかは定かではないがHIP-HOPが根付いている街でもあり、AK69というビックネームなアーティストも輩出している。音楽とは関係ないところで言えば、小牧市は日本を代表するブランド鶏としても有名な名古屋コーチン発祥の地でもあり、歴史を紐解いても小牧山城は織田信長が美濃攻めに備えて築城した城で、信長の死後羽柴秀吉と徳川家康が激突した、小牧・長久手の戦いの際に徳川家康が着陣した城としても知られており、また名古屋城築城の折に石垣の石を小牧の岩崎山からも切り出して運んでいる。つまり歴史的にみても、産業的にみても、地味なのだが名古屋とは深い縁がある街なのだ。

【HIP-HOP文化】
そんな街で生まれ育ったLot Falconさんだが、もともとHIP-HOPという音楽には自分の生まれ故郷を象徴する特性があり、どれだけ地元を愛しているかを競う文化もあったりする。Falconさんも地元が大好きで、KOMAKIの歌まで作ったという。

【MC名の由来】
さて、Lot Falconというのは、本名ではない。MC名(芸名みたいなもの)なのだが、その由来はなんと夢からのお告げであるらしい。はじめてステージに立つと決まった日の夜、彼は夢を見た。何千人と入るホールのステージの上で彼はラップを歌っていた。国籍もバラバラ、障害をもつ人ももたない人もいた。その時の自分のMC名がLot Falconであったというのだ。なので本人としてはこのMC名に特に意味はないと言っていたが、夢は脳が実際の記憶や願望を自分に都合がよいように昇華させたり、再構築する作業なので、やはりFalconさんの願望だったり、実際に見たり聞いたりしたものが再構築されて示されたMC名だったのではないかと思う。

【ネオドーブポッブス】
Lot Falconさんの音楽はジャンル的にはHIP-HOPになるのだが、どちらかと言えばポップスに近いHIP-HOPなのだという。Falconさんの音楽を聴いた外国の方が「Oh! ネオドープポップス!」と叫んだこともあり、近頃ではその「ネオドーブポップス」を押しながら音楽活動をされているそうだ。

【趣味は本屋巡り】
Falconさんの趣味は、本屋巡りだという。お薦めの本は特にないのだが、本屋を巡って、本を眺めることによって、読むことによって、インスピレーションが湧いて来る。それをリリック(歌詞)に活かしているという。

【なぜラッパーになろうと思ったのか?】
冒頭にも述べたようにFalconさんには以前にもゲストとしてお越しいただいている。その折のトークのまとめもこの「ジネンカフェだより」にUPされているので、そちらもお読みいただければと思う。Falconさんがラッパーを志すのは19歳の時なのだが、10代の頃のFalconさんは地元で仲間たちとかなりやんちゃなことをしていたらしく、ある時その仲間たちが一斉に逮捕されてしまったという。ひとりになったFalconさんは呆然自失の状態で「これからどうして行こうか…」考えたそうだ。やがて「やりたいことをして行こう」という結論が導き出され、その時に一番しっくり来ていたのがHIP-HOPだったのだ。

【残りの人生どうして行こう?】
それに加えて「残りの人生如何していこう?」と考えたという。これまでやんちゃして周囲の人や地元に迷惑をかけた分、社会の役に立つにはどうすればよいのか思いを巡らした。
その時に思い出したのが幼少期の頃の記憶だ。Falconさんの実家のすぐ前に公園があり、そこが幼い頃の遊び場だったのだ。そこには近隣の子どもたちはもちろん、近くの障がい者施設の利用者さんが余暇活動で使っていたのである。直接的に関わることはなかったものの、ひとつの公園をそんなふうに施設の利用者さんと共有していたわけだ。その時にFalconさんは不思議に思っていたという。その人達は大人なのに真剣にブランコを漕いでいたりしていたからだ。お母さんにそんな話をしたのだろう。お母さんは障害者という人たちのこと、障害はあるけれど、自分たちと何ら変わらない人間なのだということを教えてくれたという。立派なお母さんだと思う。子どもに障害者のことを尋ねられて、そんなふうに教えられる親はそれほど多くはないだろう。子どもは素直だ。Falconさんも「僕たちと変わらないのかあ~。僕が大人になったら一緒に何か出来るといいな」と思ったという。そのことを思い出し、これだと思ったという。

【NPO法人ポパイ】
そんな時、たまたま名古屋市北区の障害者生活介護事業所NPO法人ポパイの求人広告が目に止まった。「おっ、これはいいじゃないか」ということで面接を受け、はじめて障害者施設に勤めることになったのだ。しかし、それまで障害のある方と関わったことのなかったFalconさんは全く無知で、右も左も解らない状態だったという。それが丁度20代が始まる頃のことだった。

【限られた人生の中で何が出来るのか?】
そうして日々、障害をもつ利用者さんと接するにつれ、それまで自分が漠然と抱いてきた障害者像が思い込みに過ぎず、幼い頃にお母さんに教えられた「自分たちと変わらない人たち」なんだということが身をもって感じられたのである。その施設は生活支援をされているところで、日中利用して夕方に各家々に帰ってゆくという。そういうルーティンで日々が過ぎて行くのだが、Falconさんは毎日このルーティンの繰り返しで利用者さんは楽しいのだろうか? と思ってしまった。いま思うとその繰り返しの生活が落ち着く人もいるだろうし、いろいろなタイプの方もいるので一概に「同じことの繰り返しで楽しいのか?」と決めつけるのは早計だったのだが、もう少し世界を広げて行っても面白いのではと思ったり、いろいろ考えて「この人生の中で何が出来るんだろうな」と思って、『Limited Life』という曲を書き上げたという。

【福祉ラッパーの誕生】
福祉の世界で働きはじめ、いろいろな影響を受けながら『Limited Life』という曲を書き上げ、MVを撮影してYouTubeにUPした時にメディアの方達が結構観て連絡をくれたりして、ぜひ取材させてほしい…という流れになって、地元の中日新聞の取材を終えて「小さな記事ですが載せますので」と言われたのだが、見てみたらなんと〈福祉ラッパー〉という冠を付けられて夕刊のトップ記事になっていた。それを見て「ああ、俺って福祉ラッパーなんだ…」と思ったのだという。つまり自分から〈福祉ラッパー〉と名乗ったわけではなく、中日新聞の記者さんがそうネーミングしたのであった。それまでのFalconさんは自分のことをただのラッパーだと思っていたのだが、そんな冠が付けられるともうただのラッパーには戻れないなあ~。自分はそんなに福祉のことは歌詞に入れ込んでないのに…。どうしようかなあ~と思っていたのだが、もうただのラッパーに戻れないのなら福祉ラッパーとしてやっていこうかなと思い始めたという。しかし、その新聞記事のおかげで〈福祉ラッパー〉という名称がひとり歩きをしていて、〈福祉ラッパー〉はFalconさんしかいないので、よい広告効果になって全国をまわることが出来ているそうだ。今年は更に大きなプロジェクトにも関わることになっており、来年からはもっと違う展開になるのだろうなと思っているという。


【福祉発信レーベル立ち上げ】
Falconさんは独特の人生哲学をお持ちで、もともとNPO法人ポパイという職場は25歳で辞めようと思っていたので、25歳の時本当に退職し、〈福祉発信レーベル(Webメディア)〉を立ち上げた。文字通り福祉の情報やご自分の情報などを発信してゆくホームページの運営を始めたのである。しかし、それだけでは食べては行けない。どうしようかと思っていたところ、タイミングよくチーズ味のスナック菓子〈ドリトス〉で知られたジャパンフリトリーという菓子メーカーがスポンサー契約を申し出てくれたのだ。

【高齢者福祉の現場へ】
そうして何とか福祉ラッパーとして活動していられるFalconさんだが、25歳で障害者施設を辞めた時に、次は高齢者福祉の現場を経験したいと思っていて、現在は高齢者施設に勤めているそうだ。これも3年勤めたら辞めようと決めていて、もうすぐその3年になる。音楽活動をしながらも時々高齢者施設の夜勤に入って、自分の個人事業の方の仕事もされているそうだ。そんな中から感じたことを音楽にして、LIVEをされているという。

【アルバムリリース】
25歳の時にファーストアルバムを全国リリースしたのを皮切りに、毎年一枚ずつコンスタントにアルバムをリリースされている。それも毎回12月9日に発売されていて、今年も4枚目アルバムをこの日にリリースする予定たという。12月9日は、「障害者の日」でもある。どうして12月9日が「障害者の日」になったのかと言うと、1975年の第30回国連総会において「障害者は、その障害の原因、特質及び程度にかかわらず、市民と同等の基本的権利を有する」という障害者の権利に関する決議(障害者の権利宣言(Declaration on the Rights of Disabled Persons)、国連総会決議3447)が採択された日であり、1981年11月28日に、国際障害者年を記念して厚生省(現在の厚生労働省)国際障害者年推進本部が決定したのである。2003年12月3日公布された障害者基本法においても12月9日を障害者の日とすることが法律上定められたが、2004年の同法改正により、国際障害者デー(12月3日)から12月9日までの1週間を障害者週間とすることが法定されたため、現行の障害者基本法には「障害者の日」の名称は残されていないそうだ。そういう国の方針とは関係なく、Falconさんは少しでも障害者のことを知って貰いたくて、敢えてこの日にこだわってリリースしているという。

【Falconさんが目指しているもの】
Falconさんが目指しているものとは、多様性な社会。誰もが社会の一員として参加・参画出来る社会なのだ。それは音楽、ラップでなくてもよいのだが、そういう環境を若者たちから作って行きたいということで活動をされているのである。福祉に携わりながらラッパーとしても活動をしているということで、当然どちらからも色眼鏡で見られたり、ディスって来る人たちもいるが、もしFalconさんが福祉に携わってなくて〈福祉ラッパー〉と名乗っていたら、それはそれでディスられることになるだろう。どちらにしてもディスられるのならば…と、それを逆手にとって活動されているという。アンチも確かに存在するが、こういうことをしているんだとアピールすることで応援してくれる人も増えて行く…。アンチの中で活動してゆくということも意味のあることなのだと思って活動しているそうだ。そうして多様性な社会を目指しながら、将来自分のLIVEにいろいろな人が来てくれたらよいなあ~と思っているという。