ジネンカフェだより

真のノーマライゼーション社会を目指して…。平成19年から続いているジネンカフェの情報をお届けします。

ジネンカフェVOL.040のご案内

2010-05-15 23:19:16 | Weblog
日時:6月5日(土)14:00~16:00
場所:くれよんBOX
ゲスト:松見直美さん(NPO法人半田市観光協会 番頭)
タイトル:「観光」と「福祉」が育くむまちづくり
参加費:300円(カフェ代別途)

ゲストプロフィール
半田生まれ。子育て時代にボランティア活動に出会い、託児・おもちゃ図書館・人にやさしいまちづくりなどの活動をして16年になります。5年前からは、ボランティア・市民活動のコーディネーターとしても活動しています。平成20年11月より、縁あって半田市観光協会の事務局職員として働いています。半田市観光協会は、平成22年4月1日より県下で初めてNPO法人として事業運営をしています。

※ゲストのご好意により、半田の物産品が食べられます。

ゲストコメント
 福祉のボランティアから、観光協会の職員に転身(?)して20ヶ月あまり。周囲の驚きは今もありますが、最近、観光協会の仕事は私の天職と思う一瞬があります。観光の仕事が楽しいから? 奥が深いから? それだけではありません。「観光」も「福祉」も根っこは同じ、人々の暮らしにつながっているということに気付いたからです。

お問い合わせ・申し込み

NPO法人まちの縁側育くみ隊
名古屋市東区代官町29-18 柴田ビル1階
まちの縁側MOMO内 担当:大久保
TEL/FAX:052-936-1717
E-mail:ookubo@engawa.ne.jp

ジネンカフェVOL.039レポート

2010-05-14 14:29:48 | Weblog
 今月のゲストは、まちの縁側MOMOへよく遊びに来てくれるめいな(仮名)さん。めいなさんは統合失調症という精神疾患を抱えながらも、一般企業で働いている青年である。統合失調症には幻覚や幻聴などが見えたり、聞こえたりするタイプの症例と、それがない症例があるが、めいなさんの場合は後者の方である。お話のタイトルは『私の病気体験』と、直球ど真ん中でご自分にとって重要だと思われる2つのキーワードに挙げられてお話しされた。
 先ず一つ目のキーワードは〈いじめ〉であった。1977年に名古屋で生まれためいなさんは、小学校三年生の頃から〈いじめられっ子〉だったという。そのはじまりは、3年生の時に担任教師から受けた、暴力を含めた謂われのない〈虐め〉であった。ある日、クラスメートのランドセルが教室から消えて、大騒ぎになったことがあった。軍隊経験のある高齢の担任教師は、何の根拠もなくめいなさんをランドセルを隠した犯人として名指しで追求し、厳しく責め立てた。もちろんめいなさんには預かり知らないことで、完全な濡れ衣である。めいなさん曰く「その先生はそれ以前から僕が嫌いだったのだろう」ということだが、激しく罵られ、スリッパで頭を叩かれながらも、めいなさんは「絶対に潔白を証明してみせる」と思いつつも、スリッパで叩かれた拍子にその痛さと、どうしてこんな理不尽な目にあわなければならないのだろう…という悔しさから泣いてしまった。泣きながらも「僕ではありません」と身の潔白を主張するものの、その先生は更に激昂し「泥棒猫!」とか「盗人猛々しいとはお前のことだ!」などと、めいなさんを責め続けた。
 友人のひとりが登校時間のずれなどからめいなさんがそのクラスメイトのランドセルを隠せる筈がないことを証言してくれたのだが、「そんなことはわかっつとるわ! 俺はあいつが気に入らないから虐めてやってるんだ! おまえは引っこんどれ!」と一喝されて黙らされてしまった。
 それが1時間目の始まる直前の出来事であり、1時間目が始まると同時にめいなさんは廊下に立たされ、それは4時間目(給食の時間)を過ぎようとする時間までに及んだ。めいなさんはその日、担任によって給食も食べさせてもらえず、それ以降も立たされ続けた。当時はクラス担任のない先生が、廊下を巡回する慣習があったらしい。めいなさんは巡回教師たちと目をあわせるのが嫌で、わざと廊下を歩いているふりをしていたが、そのせいで隣のクラスの先生にも気づいてもらえなかったのだが、あとで立たされている理由を聴いたその隣のクラスの先生の計らいで、めいなさんはランドセルが消えたと騒ぎ出したクラスメートと彼の自宅まで探しに行くことになった。そのクラスメートが本当は忘れてきたのを忘れて〈消えた〉と錯覚した可能性があるからだ。結果的には〈消えた〉と思われていたランドセルは、そのクラスメートの自宅にあり、それを担任のところへ報告に行ったところ、担任から「誰が学校を出て良いと許可を出した! 俺は出した憶えはないぞ!」と怒鳴られ、拳骨で殴られたそうだ。
 そのことが原因かどうかは不明だが、この頃からめいなさんは離人症(薄い皮をまとっているかのようなボーっとした感覚に包まれ、自分や他人の声が遠くから聞こえたり、痛みを感じられなくなる精神疾患のひとつ)を発症している。めいなさんのいじめられっ子人生は、それから大人になるまで続いてゆく…。大学生になってもいつも他人におどおどして接し、コミュニケーションもうまくとることが出来ない彼は、益々孤立化を深めることになる。
 そんなめいなさんに転機が訪れた。中国語学留学に行っためいなさんは、同じ留学生寮に住んでいたカナダ人のキリスト教宣教師ゴードン・ブラック師と出会う。キリスト教の教えに触れためいなさんは、苦しみがすべてなくなったわけではないが、自分の苦しみを理解してくれ、受け入れてくれる存在に幾分救われたのだろう。
 大学卒業後大学院に進学しためいなさんは、〈言葉によって傷つけられた僕だけれど、言葉によって他人を活かしたい〉と思い、日本語教師の資格を取って日本語教師として教壇に立った。しかし、あまりにも張り切りすぎたせいだろう。友人との電話中に過呼吸により倒れてしまった。精神疾患のことが学校側に知られためいなさんは、突然スリランカ校出向の辞令を受けたという。主治医と相談し、その辞令を断ると今度はその日本語学校自体を解雇されてしまった。
 現在、12年連続で3万人を越える自殺者がいて、自殺に至らなくても10人に1人は精神的に何らかのトラブルを抱えていると云われる日本社会の現状であっても、精神疾患をオープンにして一般企業に勤めることは限りなく難しい。まだまだ偏見が根強くあるのだろう。
 めいなさんが二つ目に挙げたのは〈火葬場〉であった。めいなさんは幼少の頃から死生観について異常なまでの興味をもっていたという。人が死んだらどうなるのか…。人であれば誰もが一度は考えることだろう。大体の人は考えても詮ないこととして考えることを放棄するのであるが、めいなさんのその興味は無尽蔵のように尽きなかったらしい。
 しかし、その疑問にひとつの答えを得る日がやってきた。中学生になろうとしている時に訪れた叔母さんの死である。告別式の日がちょうど中学校の入学式と重なっていたが、お祖母ちゃん子だっためいなさんはお祖母ちゃんに相談して告別式に参列することにした。めいなさんにとっては、人が亡くなり、火葬にふされるところを見られるチャンスであり、お祖母ちゃんにしてみれば多感な時期の孫に人の生死を教える絶好の機会だと考えたのだろう。
 告別式が終わり、いよいよその時が来た。火葬場に到着しためいなさんは、並んでいる火葬炉が立てている轟音に先ずショックを受けた。叔母さんを火葬する番が来て、炉に入ってゆく棺を見送るめいなさんの顔からは完全に血の気が抜けていたという。扉が閉められ、炉が激しい轟音を立て始めると、めいなさんは悲鳴をあげていた。
 骨揚げの模様もショックだった。その物音はそれから20余年が経った現在でも耳から離れることはないし、ちょっと強めのガスコンロの火も、フラッシュバック症状を引き起こし、吐き気とめまいに襲われるためにみられないそうだ。
 発病して今年で8年目を迎えるめいなさんだが、現在病気を隠しながら一般の企業に勤められるまでに回復した。毎日問題や事件が起きたりして奔走することも多いが、よいリハビリになっているという。規則正しい生活の確保、経済的な独立という両面において非常に有意義で、少しずつ自分に自信を取り戻しつつあるそうだ。
 冷静に物事を分析する目を持っているめいなさんは、最後に何かを克服しようとする時に必ずそこには大きな苦しみが伴うものだけれど、大きな支えがあれば乗り越えられる。
自分にとってはそれがキリストであり、同じ教会に通うクリスチャンからの慰めの言葉であり、牧師さんの祈り等々であるが、どのような形でもよいのでご自身に応じた支えが見つかるとよいですね…と結ばれた。めいなさんとはよくMOMOで話をするし、メル友でもあるので、大体のことは聴いてはいたが、ジネンカフェで自分の病気のことを話したことを機会に新たな道を模索するつもりだと聞いている。それもまた困難が待っているだろうが、幸いめいなさんには〈大いなる存在〉の支えがある。
 社会を変えてゆくには、自分が動かなければなかなか変わらない。けれども無理はする必要もないのだ。自分の得意分野、自分が出来ることからやってゆけばよいのだ。精神障がい者への偏見はまだ社会に根強いけれど、自分の病を隠さずに生きていける日もきっと来るだろう。その日が来ることを心から祈っている。